teacup. [ 掲示板 ] [ 掲示板作成 ] [ 有料掲示板 ] [ ブログ ]

 投稿者
  題名
  内容 入力補助画像・ファイル<IMG> youtubeの<IFRAME>タグが利用可能です。(詳細)
    
 URL
[ ケータイで使う ] [ BBSティッカー ] [ 書込み通知 ]


恵みの宴と罪の宴~マルコ伝福音書6章14節~44節

 投稿者:大森  投稿日:2018年 9月28日(金)10時15分59秒
返信・引用
   今回は私がギリシャ語で新約聖書を見ていった際に気が付いたことを書きます。

 マルコ伝6章を読むと弟子たちへの宣教命令があり、バプテスマのヨハネの斬首があり、また弟子たちの帰還とその後のことが書かれています。今回ギリシャ語でじっくり読むと、二つの挿話に関連した意味があることに気が付きました。それについて書きます。

 まずヘロデがバプテスマのヨハネの首を切る命令をした王宮の場面について言及します。

 この個所を読むと、王宮で権力と富を持つ者たちの堕落、欲望、腐敗の悪臭が漂ってくるようです。

 このヘロデの個所は、オスカーワイルドのサロメやモローやクラナハの絵画作品でサロメが主役として描かれています。しかし、今回、ギリシャ語で精読してみると、この話の主役はヘロデアなのだと気が付きました。ヘロデアの栄華への欲望、権力欲、復讐心、残酷さがこの話の中心にあります。

 この話を読むとヘロデは、矛盾の多い、優柔不断な、はっきりしない、周囲に流されやすい人物です。彼は聖なる義人のヨハネに惹かれ、喜んでそれに従う面が書いてあります。一方、兄弟の妻を奪うという罪をなすような罪びとでもあります。
 一方、ヘロデアは一貫してヨハネを憎み、聖なるものへの感覚が麻痺した人間であり、自分の欲望のため人を殺すことを何とも思わない残酷で強い女性として書かれています。
そして、この欲深く残酷で強い女性の意志がこの挿話の中心にあります。

 王宮とはどんなところでしょうか?
 富に満ちています。権力があり他人に命令し支配する力を持ちます。限りなき贅沢に溺れることができます。
 その陰に、欲望。憎しみ、恨み、恐怖、残酷さが渦巻いています。そこでは退廃と魂の腐敗があります。
 兄弟の妻を奪うとは恐ろしい堕落と欲望の行動です。激しい欲望と倫理を無視する盲目さがなければできません。それは律法のない日本人でもよくわかります。一体兄弟の妻を奪って結婚して幸せな家庭が築けるのでしょうか。良心の呵責はないのでしょうか。奪われた兄弟は恐ろしい憎しみや恨みを奪った兄弟に向けるでしょう。慈しみ合い助け合うべき兄弟がそうした憎しみの関係であるとは何という重荷でしょうか。心の休まる時はないでしょう。
 ヘロデとヘロデアの関係はどちらが誘惑したのでしょうか?
 一貫して、この結婚に固執してバプテスマのヨハネの死を願うヘロデアとバプテスマのヨハネに聞き従おうとするヘロデを比べると、ヘロデアがヘロデを誘惑したのではないかと疑われます。もし、表面上、ヘロデが誘惑したように見えても、それ以前にヘロデアが表面に出ない誘惑の罠をヘロデに仕掛けて、ヘロデがそれに乗ってしまったという可能性もあります。

 ヨセフスのユダヤ古代史にはヘロデアに以下の記述があります。
「ヘロデアはヘロデ大王と大祭司シモンの娘マリアムメとの間にできた子ヘロデと結婚した。(このヘロデは、ヘロデ・フィリッポスという人物、ヘロデ・アンティパスの異母兄弟、大森注)。二人の間にサロメが生まれた。(これが福音書に出てくるサロメ・大森注)。へロデアはサロメを生んだ後、存命中の夫ヘロデと別れ、私たちの習慣を嘲笑ずるかのようにヘロデ(これがバプテスマのヨハネの首を切る命令をしたヘロデ・アンティパス)と結婚した。このヘロデは、同じ父(ヘロデ大王)から生まれた彼女の夫の兄弟であり、当時のガリラヤ領主であった。」(新約時代篇ⅩⅤⅢ.筑摩学芸文庫ユダヤ古代史6)
 これを読むと、ヘロデがヘロデアを誘惑したのではなく、へロデアの方が積極的だったように読めます。
 しかも「私たちの習慣(律法)を嘲笑するかのように」と書き、ヘロデアの倫理を無視した態度、傲慢さ、欲望を暗示させる書きぶりです。

 またこのユダヤ古代史のその後に記述の中には、ヘロデアが夫ヘロデの別の異母兄弟の王になるという出世と富に嫉妬した場面があり、ヘロデアの欲の深さ、高慢さが感じられます。

 さらにユダヤ古代史からの情報によればヘロデアはヘロデの異母兄弟の娘なのであり、前夫ヘロデ・フィリッポスにとっても、現夫ヘロデ・アンティパスにとっても、姪なのです。(律法には叔父叔母との不倫の性関係は禁止されていますが、姪との結婚は否定されていないようです)

 しかし、このマルコ伝の場面を読むと、ヘロデアの立場からすれば、バプテスマのヨハネを彼女の人生を破壊する人物です。
 もし、ヘロデがバプテスマのヨハネに聞き従い兄弟の妻を奪って結婚したことを本気で悔い改めたらどうなるか?おそらくヘロデアとは離婚するでしょう。
 ヘロデアにとって、その後の人生はつらいことになります。
 ヘロデは王であり、離婚すれば、悔い改めて罪から逃れた人物になります。
 しかし、ヘロデアは王から離婚された瞬間に王の関係者ではなくなり、一人の罪に穢れただけの女になります。元夫は、裏切った彼女を救うはずはありません。逆に、律法に反して重大な罪を犯した女として訴えるかもしれません。兄弟と離婚して再婚することについてはレビ記にこうあります。
「兄弟の妻をめとる者は汚らしいことをし、兄弟を辱めたのであり、男も女も恵まれることはない」
 死刑とは書いていませんが、汚らわしいことをした女として日陰で生きるしかないでしょう。
 罪を犯したヘロデアは、自分の欲望を押し通し、今の生活を守り自分の身を守るため、バプテスマのヨハネを排除しなければならないです。

 そうしたヘロデアにとって都合のいい日がきました。この「都合のいい」というギリシャ語は、「ευκαιρου」という言葉です。この言葉はこの個所で重要なのだと思います。それは後で説明します。

 ヘロデの誕生日の祝いに人々が集まりました。楽しく飲食する場面です。御馳走が並び、酒が酌み交わされ、ほろ酔いや泥酔ということがあったかもしれません。ヘロデは楽しく陽気に酒に酔っていたのでしょう。
 そこに義理の娘サロメが入ってきます。
 サロメをヘロデは少女と呼んでいます。女とは呼んでいません。おそらく少女とは結婚する時期になっていない女の子のことでしょう。今でいえば小学生くらいではないかと思います。まだ性の意識を持たない、女性とは言えない女の子です。オスカーワイルドのサロメにような恋をするような年齢の人間ではありません。
 その少女が踊りを踊ったのです。
 バークレー著の注釈書によれば、当時は、踊りは娼婦が淫らな誘惑のためにするものであって、決して身分の高い女性がすることはなかったそうです。
 ここで行われたのはまだ性意識を持たない少女が淫らな仕草で誘惑をするという踊りをしたという場面です。そしてご馳走を食べて、酒に酔った、おやじたちが、それを見て歓声をあげたという場面です。気のゆるみ、堕落、退廃といったことが思い浮かびます。

 そこで気の緩んだ、ヘロデが女の子に「何でもあげよう」とうかつで、慢心した発言をするのです。しかも「国の半分でも」という調子にのった発言を付け加えます。初めの「何でも上げよう」という発言の後に、さらに「国の半分でも」という発言をさらに加えたことをマルコは書きます。ヘロデの酒に酔って、浮ついた、緊張感のない気持ちが感じられます。
 女の子は母の元に戻ります。ここでもサロメが意思を持った一人の女性でなく親に頼っている少女であることが示されます。また、そうした少女に淫らな踊りをさせてヘロデの発言を導いたヘロデアの姦計も感じられます。

 答えは「バプテスマのヨハネの首を」という衝撃的なものでした。
この個所をギリシャ語で読んで気が付いたのですが、「すぐ王のところに急いで戻って」「今すぐに洗礼者ヨハネの首を盆にのせて」「王はすぐに衛兵を使わし」など「すぐ」「急いで」「すぐ」「すぐ」が多用されています。最初と最後の「すぐ」はマルコの好きな「ευθυς」です。
この場面が急いですぐに展開していったことが見えます。それは、ヘロデアの「今を逃して王の気が変わらないうちに」というあせりを示します。また、人間の罪を犯し、悲劇に飛び込んでいく際の気持、恐怖や自分の破滅を一刻も待てないような異常な心理を示しているようにも読めます。

 王は周囲の人間を気にしていたと書いてあります。
 こんな自分の権力の周りにいる人々の前で調子にのった発言をするヘロデの軽薄さ、考えの浅さが感じられます。しかも、もし、王が毅然として「それはできない」と言えば、周囲もサロメもヘロデアも拒否できないでしょう。しかしヘロデはそれができません。ヘロデが煮え切らない、流されやすい人間であることが見えます。この罪深い結婚がヘロデアに流されて行っただろうと思いますが、ヘロデはまたヘロデアに流されてしまったのです。しっかりした自分の考えを持たず、毅然とした態度を取れない人間の悲劇です。

 私は、旧約聖書のアハブ王とイザベラ王妃の関係を思い出します。土地を欲しいが拒否されて、うじうじしたアハブ王と「土地が欲しいなら相手を殺せ」と言って、王に殺人をさせたイザベラ王妃。悪を平然となす女と流される男。そうした現実をマルコ伝は示します。
アダムとエバもそうだったでしょうか。

 ユダヤ古代史によれば、ヘロデは、異母兄弟の出世に嫉妬したヘロデアにそそのかされて、ローマ皇帝に自分が領主だけではなく王になるように頼みに行きます。しかし逆に、ローマ皇帝の逆鱗に触れ、領地を奪われ流刑になってしまいます。
 ヘロデという男は最後までヘロデアという女の罪の意志に流されて破滅してしまう人間だったのです。



 このヘロデとバプテスマのヨハネの挿話は、弟子たちの伝道への旅と帰還後の群衆への対応に挿話に挟まれています。
 ヘロデの挿話は腐敗、欲望、飽食、神を無視する罪に満ちています。一方、イエス様と弟子と群衆の挿話は、誠実さと忍耐、清貧、満ち足りた食欲、神への帰依と神の恵みに満ちています。

 弟子たちは、イエス様にほとんど物を持たない姿で送り出されます。清貧という言葉が思い出されます。無一物で神の恵みだけを支えとした伝道です。穢れた霊を制する権威を与えられました。彼らは、悪魔との闘いに向かう戦士です。悪魔を制するためには、物を持たず、飢えにも耐える、無一物の清貧が必要なのです。悪魔の誘惑の一つは物欲です。それはイエス様の40日間の山での悪魔の誘惑の修行でもわかります。ヘロデの宮殿での物欲に満ちた生活とは対照的な生活です。
 私はここで指摘したいのは、「パン」をもっていかないようにと言われていることです。パンがこの挿話全体の重要なものになっているのです。悪魔との闘いには、食欲も満たされないことのある忍耐のある生活が必要なのです。
 送り出された弟子はどんな気持ちだったでしょう。
 うれしい気持ちがあったでしょう。イエス様に一人前と認められ責任を持つ人間として伝道していくのです。イエス様に信頼されているのです。
また、緊張感もあったでしょう。しかしそれは充実した緊張感だったでしょう。

 弟子たちが帰還しました。イエス様は弟子たちをねぎらい、静かな場所で休みなさいと言います。この言葉から弟子たちの伝道がうまくいったことがわかります。物欲にも食欲にも忍耐し、悪魔を制し、伝道してきたのです。 それが成し遂げられたのです。
 弟子たちの心の中には、充実感、成し遂げたよろこび、神の恵みと導きへの感謝、快い疲労感があったでしょう。あの尊敬するイエス様がねぎらってくださったのです。言い換えれば「よくやってきた」と自分たちの努力をほめてくれたのです。
 弟子たちは、「充分働き、今度はゆっくり休める。」と心地よい疲労の中で思ったでしょう。そして「パンを持たず行った。だから、十分食べられなかった。お腹がすいた。パンを食べたいなあ。」とも思ったでしょう。

 ところが弟子たちの期待は裏切られます。
 イエス様の教えを請いにたくさんの群衆がやってきます。とても休める状況ではありません。
イエス様は、その群衆を憐れんだとあります。これは「内臓」というギリシャ語から派生した言葉だそうで、はらわたが痛む、内臓から感じるような感情でしょう。日本語でも腹を割って話すという言い方がありますが、イエス様は腹を割って憐れんだのでしょう。また日本語にはらわたが煮えくり返るという言葉があります。イエス様は憎しみがはらわたに満ちたのではなく、憐れみがはらわたに満ちたのです。イエス様は群衆を、心底、全身全霊で憐れんだのです。その姿を見て弟子たちは、自分たちの休みなど言ってはいられません。自分たちの伝道も神の憐れみを伝えるためだったのです。イエスの神の憐れみを伝える手助けをしなければなりません。
その後、その努力をずいぶんして弟子たちは、「もう、ここは淋しい場所で、時間もたちました」とイエス様に言います。弟子たちの内心には「もう十分ではないですか?私たちに、少しは休みを頂けないでしょうか。」という気持ちも含まれているでしょう。
 また弟子たちが群衆の空腹を気にしています。こういうのは、弟子たち自身が空腹を感じていることも示していると思うのです。弟子たちの心の中には、「私たちは、お腹もすきました。パンを食べたいです。」という気持ちがあると思います。だから他の人の空腹も感じたのでしょう。
 ところがイエス様の答えは弟子たちの期待をさらに裏切るものでした。
「お前たちが食物を用意しなさい。」全く意外な言葉でした。
私は時に神様はありえないような要求をすることを肝に銘じます。隣人愛のため絶対実現不可能に見える要求をすれることもある。しかし、それを拒否してはならないと思うのです。
さらに「お前たち食べ物をいくつ、もっているのか?」というイエス様の言葉です。
弟子たちはパンを食べたかったのです。それは当然の欲求です。しかし、イエス様は、弟子たちが楽しみにしていたパンを食べずに、「群衆に捧げよ」というのです。
 弟子たちの当然の欲求は、隣人愛のために無視されて、かなえられず、弟子たちの欲求は群衆の犠牲になるのです。
 弟子たちは、どう思ったでしょう。
 空腹で、パンを自分たちが食べたい弟子たちは、内心、「ここまで忍耐しなければならないのか、ここまで捧げなければならないのか」と思ったかもしれません。「イエス様の言われたことだから仕方がない」と思ったかもしれません。
 けれども、弟子たちは従ったのです。

 そこにあったのはパンだけではありません。魚もあったのです。弟子たちはパンを見に行って、魚も見て、それを報告しました。彼らのは魚を報告せず、隠して自分たちが食べる方法もあったでしょうが、それはしませんでした。
そして魚です。
 魚はギリシャ語でιχθυςです。これは、Ιιησυς(イエス) Χριστος(キリスト) Θεου(神の) υιος(子) Σωτηρ(救い主)の頭文字をとって並べた言葉と同じで、初期の迫害時代のキリスト者の暗号にされていたといわれる言葉です。マルコ時代のキリスト者たちにもなじみの言葉だったと思われます。弟子たちは「イエス・キリスト・神の子・救い主」も見つけてイエス様に報告しました。

 空腹の中自分の食べ物を与えた弟子たちにイエスさまの奇跡が起きました。神の恵みは、弟子たちの想像を超えて大きなものでした。
 パンは増えて、全員の空腹を満たして、余りあるものになったのです。
 もちろん弟子たちの空腹をも満たしたに違いありません。
 弟子たちの究極の犠牲と忍耐は、全体への大きな喜びのもとになったのです。



 この場面をみると、ヘロデの挿話の罪深さ、醜さが際立ってきます。
 注目すべきは、二つの挿話は、ともに大勢が集まって、ともに食事をする場面だということです。
 ともに大勢集まる会食、宴の場面です。
 しかしその本質は正反対です。
 強欲と清貧、欲望と自己犠牲、殺人という罪と神の恵みの奇跡。
 罪の宴と神の恵みの宴。

 二つの宴が関連することを示すようにマルコは、二つのギリシャ語を二つの挿話の中に入れています。

 一つは集まるという意味の言葉です。
 22節に王の誕生日に「列席した」という言葉、συνανακειμενοις があります。
 また30節弟子たちが「集まった」という箇所にも συναγονται があります。
また33節に、群衆がイエス様と弟子たちより先に湖のむこうのに行先に行ったという箇所にも
συνεδρμσν があります。日本語訳ではよくわかりませんが、英訳には、そこにcame together to Him とあります。一緒にいたという意味があります。
 この三語の言葉はσυνという言葉が語幹の言葉で、集まるという言葉の派生語です。

 また21節のヘロデアがバプテスマのヨハネを殺すのに「都合のいい」という言葉に、ευκαίρου があります。これは、31節の弟子たちが食べる暇もなかったという箇所にも使われます。ευκαίρουνという言葉で、この個所を直訳すると、「都合よく食べることができなかった」となります。
 このように二つの挿話で二つの言葉が使われており、マルコが関連性を暗示したように思われます。

 このようにヘロデの挿話が弟子たちの挿話に挟まれ、ともに一緒に食べる挿話であること、共通の単語、長谷語がつかわれていることなどから、マルコは、二つの挿話を対比して書いたのだと思いました。

 また、これは出エジプト記にマナの挿話とも関連している気がします。それは今回、書かないことにいたします。

 私は、最近、モンサントやアメリカ政府による、日本の食糧自給率を下げてアメリカ依存させて日本を支配する政策や現在の種子法廃止などについて調べています。この個所からすると、そうした政策が神の意志に反した罪深い政策であることを感じました。
 また自分自身がもっと禁欲的であってもいいのではないかと反省しました。

 
 

日米FTAが開始されるか

 投稿者:大森  投稿日:2018年 9月13日(木)13時51分4秒
返信・引用
  山田正彦氏のブログからの情報提供です。

日本農業新聞で日米FTAが始まるかもしれないという情報です。

ただ、日本農業新聞WEB8月31日ではまた、9月にトランプ政権がFTA押しつける可能性があるとして、FTAの交渉には入っていないようだ。ただトランプ政権の押し方次第でそうなる可能性はある。

日米FTAとは自由貿易協定でTPPの日米版である。TPPを締結している日本はそれがスタートラインになり、それ以上の妥協をアメリカが要求してくる。一方アメリカは保護貿易を主張しているので、自国の利益は守るスタンスだろう。
無防備の日本と身を守るアメリカが戦えば、どうなるかは、目に見えている。

以下、山田氏のブログより。



大変残念です。

日本農業新聞、何より恐れていた事実上の日米FTA(日米新協議)が9日、ワシントンで行われることになり、9月までには決めてしまうと。

米国のライトファイザーは.日本からの自動車に25%の関税をかけると豪語。なんとトヨタ1社の売り上げで24兆円、日本の農林水産業の総生産額で8兆円しかない。


アベ政権、茂木担当大臣は、自動車の関税を免れる為に、米国が要求する農産物をそのまま受け入れることが、国益になるとするのが、目に見えている。

昨日、ワシントンのロビースト、トーマスカトウ弁護士が私の事務所に訪ねて来た。

彼の話ではトヨタ1社の公表されている米国でのロビーストは21人いて、年間に、6億円の支出、他に自動車工業会等入れると20億円は下らない活動費が支出と。

日本ではモンサント等の日本での政、官、財に対するロビー活動費は公表されることはありません。

一方、日本の農業関係は、全中が骨抜きにされて、TPP11に賛成、ただ農家は今でも自民党は見捨てることはないと信じている。


このままだと日本の農業はどうなるのだろうか。

政府はこれ迄は、米国との個別の交渉はしないと説明、TPP11で米国の牛肉、豚肉等の輸入枠まで、カナダ、NZ、豪州等に全て譲ってしまった。

先週、署名した日欧EPAでは、乳製品までも関税減免。野菜もコメ、麦までも全て譲歩してしまった。

新聞には「米国は対日協議、豚肉に照準」、「米交渉官、中国、メキシコ向け代替」とある。

中国など一斉に25%の報復関税を米国の農産物にかけて、ブラジル等からの輸入に切り代えたので、何でもいいなりになる日本が標的に。

すでに日本の食肉輸入は、100万トンを超え、豚、鶏は18年度上半期だけで、最多と報道されている。

つい最近まで、55%あった豚肉の自給率が今でも、49%を切った。

コメにしても、影響がないと政府は試算しているが、すでに豪国ではコシヒカリ系のうららを日本の6分の1のコストで収量も1.4倍の栽培面積を急拡大と報道されている。

米国でも日本向けのコメの栽培面積が拡大している。

日本も先ず鉄鋼、アルミ等で高い関税をかけられているのだからWTOの規約通り、当然各国並みに米国からの農産物に報復関税をかけるべきである。

独立国として、それから堂々と交渉に入るべきでは。

このままでは日本の食料自給率は、経産省の試算のように、本当に14%まで落ち込んで、日本の農山漁村は荒れはててしまうことになる。

?自己紹介:山田正彦(やまだまさひこ) 元農林水産大臣、弁護士 1942年4月8日生まれ(長崎県五島市) ≪略...続きを見る

 

日本の明治維新から敗戦への外国の影響について

 投稿者:大森  投稿日:2018年 9月 8日(土)11時14分57秒
返信・引用
  終戦記念日も過ぎましたが、日本の敗戦について書きます。
もっと早くアップしたかったのですが、忙しくてできませんでした。
書いてみると自分の知識不足を感じます。
しかし、最近の状況や歴史ついて触れていると、不思議な違和感を感じているので、それを言葉にしてみます。

少し前、「この世界の片隅で」という広島の原爆投下に関係するアニメーションを見ました。
戦前の風景が忠実に再現されているとのことで、いい作品だと思いました。
その中で主人公が敗戦の詔勅を聞いて「何で戦争に負けたのか?こんなにも苦労したのに」と悔しい気持ちを表現する場面がありました。家は焼かれ、自分の右手を失い、姪は爆死しているので、確かにその疑問の叫びはもっともです。
私は、その疑問「なぜ、太平洋戦争は始まり、何の目的があり、なぜ敗戦に至ったのか」ということについて多くの文化人は答えていないと思いました。庶民のもっともで切実な疑問に答えるのもインテリの役割ではないか?私は三島由紀夫と小林秀雄を思いうかべました。彼らはなぜそうした庶民のもっともな質問に答えないのでしょう?
少なくとも敗戦について国民が共通した正しい認識がないと思います。

一般的な国民の認識は軍部が暴走したためということでしょう。しかし、軍部が暴走したからと言って、無謀がアメリカとの戦争にすぐ結びつくわけではありません。軍部は軍隊であり、冷静な状況分析、自国他国の軍事を認識したうえでの作戦立案を行うのが普通です。それが、負けると分かっている戦争を始め続ける愚策を行うのは異常なことです。
私はかつて日本の軍人は宗教家でありながら軍人であるという矛盾を持ちながら気がつかない人々だったと分析しました。そういう人が多数いたと思います。しかし、国の総理大臣、外務大臣、軍のトップも含めて全員がそうかどうかは、もっと厳密に考えなければならない問題です。海軍のトップだった山本五十六が半年なら暴れられるがそれ以上はできないので早期の停戦を望んでいたのは有名な話しです。どういう局面で、どういう判断をしたのかも考えなければいけない問題でしょう。

回りくどい話はやめましょう。
私は、日本の開戦、戦争継続に対して外国の影響がどのくらいあったのかということが、今までの戦前についての議論に欠いていたように思うのです。太平洋戦争については、かなり強力な外国からの圧力があったのではないか?それを視野に入れなければ、日本の動きも読めないのではないかということです。

私はTPPについてここ数年調べています。TPPとは何か?日本にどういう影響があるのか?誰の意向なのか?調べてみました。結論は、TPPとは多国籍企業とその株主の金儲けと世界支配ために日本人を守る決まりを駄目にするためのものだということです。多国籍企業とその株主とは、アメリカで批判された1%と呼ばれる一部のスーパーリッチ(富裕層)のことであり、日本人を守る規則を駄目にするとは、規制緩和と呼ばれています。具体的に言えば、多国籍企業の生命保険会社の金儲けのために、日本の国民皆保険を駄目にしたり、日本の水道を民営化して多国籍企業の営利に差し出したり、主要農作物種子法を廃止して稲の種にモンサントなどの多国籍企業の支配がしやすいようにしたりすることです。

私は、現在の日本の政治は、日本の庶民のためにあるのではない。外国の多国籍企業とその株主、世界のスーパーリッチのためにあり、政府は国民を騙して、国民の生活をスーパーリッチに差出すことを企んでいるとしか思えずにいます。
私は日本の政治、社会は外国勢力の多大な強力な支配下にあると思います。

おそらく、官僚、財界、マスコミ、政界、学会などに、外国の組織と関係が深く、日本ではなく外国の組織に忠誠を誓い利益を得ている人々がいて、それぞれの立場で、スーパーリッチに都合のいい政策や言論を行い、国民を導いているのだとさえ感じます。

私はTPPで学んだ日本への外国の影響力ということを今までの歴史を見る上でも考慮すべきだと感じ始ました。

私は明治以来の近代史には、外国の影響が強くある、その観点でみないと真実は見えてこないと思えるのです。

最近、私は、加治将一という人の「竜馬の黒幕」、「幕末、明治の暗号」という本を読みました。これからはとても面白い本なので、是非、歴史に興味のある方にはお勧めします。

竜馬の黒幕によれば、竜馬は個人で活躍したのではなく、バックに、イギリスの商人グラバー、英大使アーネストサトーなどの人物とつながりがあり、資金や行動計画において助力をもらっていたというのです。
竜馬だけでなく、当時の勤王の志士と呼ばれる人々はみな、グラバーやサトウと関係を持ち、その資金と指示で動いていたというのです。
私は驚くとともに、何でこうしたことに今まで思い至らなかったのか、自分の愚かさを感じました。
確かに竜馬や伊藤博文のような下級武士が討幕や維新といった大仕事を個人の力で成し遂げたというのは不自然です。
現在、例えば、下っ端のサラリーマンが、県知事や大臣級の人物を差し置いて、活躍し、国を動かす大物と談判して国政を動かし、現政権を倒す革命をなすということは、フィクションならあり得ますが、現実にそんなことはありえないでしょう。まして当時は身分がしっかりと固まった時代です。身分の低い下級武士が何を言うかと否定されれば、それでおしまいでしょう。
それなのに討幕の志士たちは、身分の低い人たちなのに、現政権の転覆を成し遂げたのです。不自然としか言いようがありません。
1863年文久3年に長州五傑と呼ばれる五人、井上聞多(馨)、遠藤謹助、山尾庸三、伊藤俊輔(博文)、野村弥吉(井上勝)がイギリスに留学に行っています。この年にはイギリスと長州の下関戦争が行われています。
なぜイギリスは敵対している長州の若者を留学させてイギリスで学ばせたのでしょう。不思議としかいいようがありません。
もし、アメリカのイラク戦争時に、アメリカがイラクの若者数名をアメリカに留学させてアメリカ文化を学ばせたという事実があったとします。しかもその若者たちがイラクのフセイン政権討幕後に、イラクの首相などの中枢の役割を担ったとします。
普通なら、アメリカはアメリカに都合のいい政権を作る人材としてイラクの若者を留学させてアメリカとの強いパイプにしたのだろうと考えるでしょう。
これと似たイギリス留学が幕末に伊藤博文など5人に起きたのです。
イギリスは日本の新政権の中枢にイギリスの影響力の強い人物を置くために留学させたのであろうと考えた方が自然です。
イギリスはある目的に向けたシナリオをもっており、それに従って彼らを英国留学させたという読み方には説得力があります。
外国の強い影響下に作られた政権、それは傀儡政権という言い方も可能なのではないでしょうか。

また、幕末に諸外国が日本に何をしたのか?何をしようとしたのかも今までの歴史には出てこないと思います。
諸外国はアジアの国々を植民地にしていきました。
日本に対してもそうしたかったに違いありません。しかし、日本を植民地にしようとするイギリス、アメリカ、フランスの動きについて今までの幕末の歴史では触れられなかったように思えるのです。一体、欧米列強は日本だけは手をこまねいていたのでしょうか?
下関で長州と戦争して威圧しながら、将来の新政権の中枢になるであろう若者を留学させて、新政権の中枢に太いパイプを作り、それで新政権がイギリスに都合のいい政策をするように動く布石を打っていたと考えれば、納得がいきやすいと思います。植民地支配でない形の支配を造ろうとしていたすれば納得しやすいと思うのです。あの老獪、冷徹な欧米諸国が日本支配の手を何も打たなかったということよりも納得しやすいです。


私は若い時に司馬遼太郎の「竜馬が行く」を読んで、違和感とコンプレックスを感じたことが忘れられません。「何でこんなすごいヒーローがいるの?何でもできて、みんなに好かれて、何でも実現できて、常識を超えたすごい計画に向かって行動できるなんて、すごい。自分とは全然違う、自分は無力で混乱していて、何にもできない。」みたいに感じました。
しかし、竜馬がイギリスの計画と指示と財力とで動いていたと考えると、納得できます。(もちろん、彼も魅力ある聡明で行動力のある人物だったのでしょうが)
しかし歴史に詳しいのに、イギリスのバックに触れなかった司馬遼太郎という人物は何を考えていたのでしょうか?イギリス抜きの日本のヒーローを描いて人々に読ませ、人々に信じ込ませようとした司馬遼太郎という人物はどういう目的があったのでしょうか。

私は、日本の開戦についても外国の影響を考えなければならないと思います。
私は、「真珠湾コンスピラシー」(ジョンコールマン)という本を読みました。
この本によれば、日米開戦は、イギリス首相チャーチルとアメリカ大統領ルーズベルトが強く望み、その方向で日本に圧力をかけたから開戦に至ったというのです。なぜチャーチルとルーズベルトが戦争を望んだのかと言えば、ドイツとの戦争にイギリスが負けそうだったから、ドイツを負けさせるためにアメリカの参戦が必要だった、ルーズベルトは恐ろしいドイツへの人種差別感覚をもっていたため、当時、外国の戦争に巻き込まれることを嫌悪して平和の維持を強く望んでいたアメリカ人を何とか戦争を望むようにしたかった。そのために、日本人を卑怯者にしたて一般アメリカ人に憎悪させる真珠湾の日本軍の攻撃が必要だったというのです。
 私はそういう事実について判断するだけの知識はありません。
 しかし、少なくとも、真珠湾攻撃に始まる日米開戦に関して、当時のアメリカの状況、アメリカの動き、アメリカの意図を考慮しないで、判断することはできないと思います。

(この本では日本へのアメリカの空襲について「東京の惨状はダンテの時獄篇をしのいだ」と書き、「どの軍鯛の歴史を見てもあれほどの惨状はない・・・世界史上のいかなる軍事行動もあれ以上の死傷者を出していない」という当時のアメリカの将軍のパワーという人の発言を載せています。私は東京の空襲を始めとした、日本の都市への空襲は、国際法を無視した非戦闘員への虐殺行為であると考えており、また広島、長崎への原爆投下は、人種差別的な虐殺であるとともに人体実験だと考えています。欧米人がそうしたことに賛同した意見を書いていたので非常に驚きました。)

また、小林よしのりの「戦争論3」では、明治以来の歴史が外国の多大な影響の下にあったことを前提に太平洋戦争までの歴史を描いています。私はこれが例外的に思えますし、また通常の歴史学者からみれば漫画という異端的な分野の表現でしょう。


私は、今までの日本の専門家による歴史書には、明治以降の近代史において、欧米列強からの圧力と日本の政治の関係の記述、資料、考察が抜け落ちていることを感じるのです。
もちろん外国の圧力だけが日本に明治維新をもたらし、太平洋戦争を開始する原因ではないでしょう。しかし外国の圧力もその大きな要因でしょうし、それを抜きに記述するのはおかしいと思っています。
まるで外国からの圧力を隠蔽する意図があるようにさえ見えます。

私はこうした記述をする気になったのは、一つには最近のインターネットで明治維新や太平洋戦争についての新説を無料で配布する宣伝がやたらと出ていることがあります。
その案内を見ると、どうも、それらは明治維新や太平洋戦争への外国の圧力と影響を描いたもののようです。
私がとても不思議に思います。
今まで隠蔽していたがごとくに、書かれなかったものが、インターネットでやたらと宣伝し無料で配布することになっていることが不思議です。インターネットの宣伝費や本の無料化にはお金がかかり、一体誰がそれを出しているのかと思います。
今まで隠蔽されていたような内容をかなりの費用を出して人々に提供しようとするのは誰でどういう意図があるのかと思います。

結論的にはまとまらない話でしたし、自分の知識や学力を超えた話だったと思いましたが、とりあえず書いておきます。
 

清水様、ありがとうございました。

 投稿者:大森  投稿日:2018年 8月12日(日)21時48分31秒
返信・引用
  清水様、読んでいただき、書き込みいただき、ありがとうございました。
誰も見ていないのではないかと思っていたので、驚きましたし、うれしかったです。
読み返したら、ミスがあったので直しました。
清水さんに、ペテロの感想を聞かれてから、「マルコ伝福音書をじっくり読もう、読んでイエス様の十字架への経過をじっくり理解しよう」と思い、ギリシャ語で取り組んでいます。
また何か発見があれば、聖書についても書いていきます。
 

差別された女

 投稿者:清水  投稿日:2018年 8月 8日(水)19時01分34秒
返信・引用
  大森さん読ませていただきました。長血の女はイエス・キリストに差別を救われましたね。  

マルコによる福音書・5章25節から34節

 投稿者:大森  投稿日:2018年 7月17日(火)09時35分45秒
返信・引用 編集済
  現代は恐ろしい時代です。
国民を搾取し、極端な格差社会を作り出そうという動きが急激に加速しています。
まるで、ある計画書があり、それに従って動いているようです。

日本では2020年東京オリンピックを目指して何かが動いている気がします。

しかも、本来、国民を守る立場の政府が、日本国民のためでなく、外国の一部の金持ちのために政治をして、国民を一部の金持ちに奴隷として捧げようとしています。
日本政府は日本国民のためでなく、日本国民を騙して、世界的富裕層のための政治をしています。
そうした状況を国民の多数は理解することなく、間違った先導者について行って、地獄への道を歩んでいます。一部の人は、それに気が付き、大変な危機になると恐れ、抵抗しています。
しかし多くの人々は、怖いものには目を向けず逃げていたり、「何とかなるでしょ、昨日と同じ明日が来る」というように楽観的の考えもなく生きています。

日欧EPAが調印されました。
TPPなみに恐ろしいにの情報はありません。
TPPで騒がれたので情報を流さないのでしょう。
その他、恐ろしい生活破壊の政策が急激に秘密に進んでいることを感じます。


私は、TPP、食の安全と安定供給、主要農産物種子廃止などについての情報を流してきましたが、私個人の努力など、焼石に水、ブルドーザーに向かうカマキリみたいなもので、無力を痛感しています。

私はじっくり宗教研究をしたいのですが、社会問題についての活動を行い、自由時間が少なくなりました。

明治からの宗教についての研究、情報統制についてな継続してど研究すべきことはたくさんありますが、現代の社会問題から目を背けることは、現状困難だと思っています。それで現代の問題と宗教についての文を最近は書いてきました。

しかし、今回は、純粋に聖書について書きます。

現代の社会問題の根本は、宗教であり、聖書であると私は感じています。
現代社会の根本問題は、悪魔か神かという問題だと思っています。
また、一番重要なのは、この恐ろしい現代の中で、自分の魂が信仰、希望、愛を保って生きていけるかだと思っています。
信仰は、聖書は、現代にあってますます重要なことなのであり、しっかり聖書を読み、イエス様のお考えを理解し、真実を知り、信仰、希望、愛を深めて生きていくことです。

今回は、マルコ福音書をギリシャ語の原文で読んで(見て)発見があったので、書きます。
わたしは、ギリシャ語は語尾変化などはほとんどわからず、単語がどういう意味かを推測する程度の力しかありませんが、それでも一語一語、辞書や文法書を使って読んでいくと、発見や感動があります。

個所は、マルコ福音書、5章25節~34節の長血を患う女性の癒しの個所です。
長血とは何の病気かわからないけれど、女性の出血が続く病気です。

この個所を原文で読むと、わたしは4つの言葉について、興味深く思いました。

それは25節の『多くの医者に「苦しめられ」』のπαθούσα。
29、34節の『病気』を示す、μαστιγος。
33節『おのが身になりし「こと」』のάλήθειαν。
34節『安らか「に」往け』のεις。
他にもありますが、この4つを中心に書きます。

病気の「μαστιγος」は鞭、神の鞭、病気を示す言葉です。
これにより、神の鞭が彼女に下されていたイメージになるとともに、鞭で叩かれ続けるような、ずきずきと絶え間ない痛みが彼女を苦しめ続けていたのではないかと思います。すごく苦しそうです。

25節の「παθούσα」は、パッショウサと発音し、辞書では、「感情、抑えられない感情、受難」とあります。
これは英語のpassion、パッションですね。ここではこの女性の受難を示し、イエス様の受難も思い浮かびます。
私がここで思い出したのは旧約聖書のレビ記15章です。ここには神の掟、律法の記述で、女性の流血についての記述がありますが、そこには、血を流出している女性は穢れており、その床も椅子も触った物がすべてが穢れるとあります。それが旧約聖書の神の掟、律法の掟なのでした。

これから考えるとこの12年長血で苦しんだ女は、病気で苦しむだけでなく、宗教的差別で苦しんできたのでしょう。触れた物すべてが穢れるのなら、彼女は、同じ部屋で同じベットでずっと過ごしたかもしれず、他人との接触もほとんどない人だったのでしょう。結婚もしていないか、していても、夫、子どもから引き離されていたのでしょう。
彼女は宗教的な受難の人生を歩んでいたのです。

次の33節のάλήθειανはアレセイアンと読み、真実、真理という意味です。(アレセイアという学校がありますね。)英訳ではtruthが使われています。彼女は、病気と癒しの事実、自分の人生の体験を単に語っただけでなく、真実・真理を語ったのです。これは意外な表現です。

私はこの33節は重要な文と思います。
「女、おそれ戦き。おのが身になりし事を知り、来たりて御前に平伏し、ありしままを告ぐ」

この文は常識で考えると、不思議なことの多い文です。

「おそれ戦き、」本来、病が癒えたのだから喜んで然るべき心情です。それが、なぜ、おそれ戦くのでしょう。

さらに「おのが身になりしことを知り」。なぜ、ここで「知り」という単語があるのでしょうか。自分の体験したことを自分自身が知っているのは当たり前ではないですか。なぜ、この場で「知り」というのでしょうか?


そして女性の体験を、真理、真実だとマルコは書きます。事実でも体験でもなく、真理、真実なのです。

私は、こう思います。
この女性は、長く苦しい病苦と律法による宗教的差別からある根本的な問題に直面していたと思います。それは律法とは自分にとって何なのかという問題です。
彼女は律法に苦しめられていた。彼女を苦しめる律法とは何なのかと彼女は思い、不当さを感じていたのではないかと思います。律法は神の掟ですから、自分を不当に苦しめる神の掟とは何なのか?神とは何なのか?という問いです。
彼女はイエス様の噂を聞いて、出ていき、群衆に混じりました。
この時点で彼女は律法を踏越え始めています。彼女の触れたものは穢れるのですから、律法によれば、群衆が押し合い圧し合いしている場所に行って、他人に触れてはいけないはずです。
またイエス様の服に触れるとは、イエス様の服を穢し、ひいてはイエス様を穢すことになるのですから、律法では禁止されている行動です。それを実行した彼女は、もはや律法の範疇だけで生きてはいません。彼女は、律法から信仰へと歩みを始めているのです。彼女は律法により神とつながるのではなく、信仰により直接神とつながろうとしたのです。

イエス様に触れて、彼女の病は癒えました。

彼女は、多くの人に知られず、そのまま帰りたかったに違いありません。律法違反を行った事実をあからさまに群衆に示されることは恐れていたでしょう。もしかすると罰せられるかもしれません。穢れた者から触られたという群衆から怒りや暴力を加えられるかもしれません。

ところがイエス様は、彼女に群衆の前でも告白を促すのです。

この場面でイエス様が彼女のことを知らないということは考えられません。全知のお方は、当然、彼女の人生、病気、快復を知っていたのです。イエス様は彼女に群衆の前での告白を促しました。それは、彼女のためでもあり、群衆のためでもあり、また後世の私たちのためでもあります。

彼女は告白すれば、律法違反と糾弾されることになるだろうことを彼女は恐れました。しかし彼女の恐れは、それだけではないと私は思います。
イエス様に自分の体験を告白することを迫られて、この女性は、自分の病気の治った体験の重要性を直感で感じたと思います。
その重要性とは、彼女の癒しが、律法を通じてではなく、自分の人生への神の直接の介入だということです。彼女の病気と人生に、神が直接介入されました。彼女は、神の偉大な力、神の偉大な愛が、卑小な自分に関わったことを感じたのです。神の偉大さ、神の愛、神の絶対性、それがイエス様にある、目の前に偉大なる神がいる、それが自分に関わったことを知ったのです。
神の偉大さに対する畏怖の念を抱いたのです。彼女のおそれ戦きには、そうした畏怖の念が含まれています。
彼女は律法を超えた神との直接体験をした。だから、マルコは、彼女の体験を、出来事とは、呼ばず、真実・真理と呼んだのです。
彼女の体験は、永遠絶対的な神が人間に関わったという永遠的な真実を示しているというのです。

そして、それは、同時に律法が乗り越えられた瞬間でした。
律法ではなく信仰により人間が神とつながった瞬間だったのです。


最後に、34節『安らか「に」往け』のεις。
「安らかに往け」は、ϋπαγε εις είρήνην
英語でgo in peace
ειςは、文法書だと英語のin か intoで、中に入っていくことを示しています。
原文通り訳せば、平和の中に入りなさい、です。私はこれが正しい意味だと思います。「達者で」みたいな訳もありますが、そうではないと思います。話は医療の話でなく信仰の話になっているのです。「達者で」ではなく、神の実在を感じ恐れと戦きを感じた女性に、恐れと戦きに止まらず、もっと深い神の平和な世界に入っていきなさい、と信仰が深まるように導いた言葉だと思います、
彼女は、神の実在を感じ、恐れと戦きを感じた。しかしそこは、信仰の入り口なのです。より深い、神の平和、愛の世界が奥に待っている。あなたは、その神の愛と平和の世界に入っていきなさい。そういう言葉だと思います。

以上、私がマルコ伝5章のギリシャ語原文を見ながら考えたことです。

さらに私はW・バークレーという聖公会のキリスト教の宗教家によるマルコ伝の注釈書のこの個所を読みました。

そこにはちょっと驚くべきことが書いてありました。

バークレーは「彼女は不潔であるとして神を礼拝することや友人との交わりさえ断たれていたのである。(レビ記15・25~27)」と書きます。
私は驚きました。確かにレビ記の記述について書かれています。しかし「神の掟」や「律法」の言葉はありません。彼女は不潔の理由で交わりを絶たれたのではありません。
そうではなくて、律法という神の掟で不浄なものという烙印を押されたのです。
律法が彼女の周囲との絶交と断絶の原因です。

「彼女は不潔であるとして神を礼拝することや友人との交わりさえ断たれていた」ことが神の掟、律法の教えであることはこの話の中で非常に重要な中心的要素です。
それが、この話をアレセイア(真理、真実)しているのです。
なぜバークレーはそれに触れないのでしょう?

またバークレーは、解説個所の始まりにおいて、タルムードがこの患いに11の治療法を提示していることを示しています。彼はなぜ、異教徒が読んでいけない門外不出のユダヤ聖典タルムードを読んで情報を得たのでしょう?そこから公然と引用しているのでしょうか?

ここに見えるのはユダヤ教を庇おうとするバークレーの姿勢です。
「タルムードが11の治療法を載せているということは、ユダヤ教徒はこうした女性を憐れんでいるんです。そこを覚えておいてください」とでも言いたげです。

私はこれを読んで思いました。
「律法を肯定する、ユダヤ教の世界では、こうした憐れで苦しんでいる長血の女性は、現代の21世紀においてまでも、宗教的差別を受けている」と。この話は、キリスト教の世界では不当な宗教差別の苦しみから解放されて、昔はかわいそうな現実があったということになりますが、ユダヤ教の世界では、ずっとこの病の女性は宗教差別を受け続けているのです。

またバークレーは女性がイエス様に癒された場面や、彼女が告白した場面でも、結論でも、バークレーは律法について解説しません。彼は、ユダヤ教に不利なことは書きたくないのでしょうか?

私はユダヤ教を庇い、アレセイアを隠蔽しようとする、バークレーの姿勢に疑問を持ちますし、また、そうした解説者を生み出した聖公会とはどういう宗教団体なのかと不思議な気がいたしました。



 

農作物の種の自己採取禁止の法律改悪

 投稿者:大森  投稿日:2018年 6月12日(火)09時37分26秒
返信・引用
  今回はTPP関係の農業、多国籍企業による農業征服、農業支配の情報です。


私が大切な情報源としている、TPP訴訟の会の中心メンバー、元農林水産大臣の山田正彦氏のブログよりの情報です。

政府は、種の自己採取を禁止の方向で法改悪しているようです。

農家は種子企業(モンサント、バイエル、デュポンなど)から特許付きの馬鹿高い種を毎年買わなければならないことになります。
種による農業と食の支配です。

いよいよモンサントなどの種支配の恐怖が、すぐそこに。
以下です。


お願いです。大変なことになりそうなので、是非シェア拡散して頂けませんか。

種子法が廃止されても、種苗法があるから大丈夫だと政府は説明しましたが、その種苗法21条で知らない間に制度の改正が大幅になされていました。




同法では自家採種を自家増殖と記しているものの、原則自由で、これ迄私は例外としては2項にある育種権者、企業等との契約の場合だけだと思っていましたた。

ところが同条3項には、農水省の省令だけで、国会の審議も無しに、自家採種を禁止することができることが、記されています。

これ迄も省令で、花とかキノコ等育種登録された82種類の種子に限って自家採種は禁止されていましたが、今回はトマト、茄子、ブロッコリー、キャベツ等209種類が追加されたのです。

農水省の審議会種苗分科会で、政府はUPOV条約により、自家採種を続けることで、登録された種子が劣化するのをこ防ぐためにも、今後も対象を拡大すると。

農業競争力支援法(8条4項)では農研機構(独)、都道府県のあらゆる種子の育種知見を住友化学、モンサント等に提供することになっています。

そうなれば、彼らは次々に育種登録して、日本の農家は野菜、果物等でも自家採種、交換も禁止、その育種権者の保護は加工品にも及ぶことになっています。

UPOV条約でも各締約国は合理的な範囲内で育種権者の権利の保護は、制限できるとなっているのに。

かつ、日本も批准している食料、植物遺伝資源条約では農家の自家採種を農民の権利として認め、種子に関しては、農民に意思決定の権利が、あるとしています。

何と種苗法に違反したら、10年以下の懲役、千万円以下の罰金と厳しい定めが、しかも共謀罪の対象にもなっています。。

種子法の廃止、農業競争力支援法と種苗法の制度変更はTPP第18章知的財産権保護の章の実現そのものです。

企業の利益の為に、農家が古来、代を繋いで必死に守ってきた種子を少し残しての翌年作付けする権利まで奪われるとは絶対に許してはならない
 

アメリカの福音派と世の終末とユダヤ人

 投稿者:大森  投稿日:2018年 4月25日(水)16時12分13秒
返信・引用 編集済
  今回は前回、前々回に引き続き、トランプ大統領のエルサレム首都宣言の背後の事情について考えることにしました。

トランプ大統領がエルサレム・イスラエル首都宣言をして大使館の移動をすると宣言した際、その宣言の背後に福音派がいるとNHKインターネットなどで知り、アメリカ福音派について調べてみました。

アメリカの福音派という聖書を教条的に信じる人々(アメリカ人の25~30%の人数と言われる)が終末論に関して多大な関心を持ち、積極的に政治にかかわっているというのです。

この方々についてファンダメンタリスト(根本主義者)という言い方が以前ありましたが、現在これは蔑視を示すことばらしく、使わない方が無難みたいですので、アメリカ福音派という言葉を使います。

アメリカ福音派について調べてみるといろいろわかりました。(以下、アメリカを抜き、福音派に略します。)

1 福音派は終末に関心が高い。
2 福音派は、聖書をそのまま信じているので、黙示録、福音書、ダニエル書、エゼキエル書その他の終末預言をつなぎ合わせて、独特の終末の進行計画を信じている。
3 その進行表によれば、大雑把に書くと以下の話が進む。
4 イスラエルが約束の地に戻る。その後、エルサレムを支配する。エルサレムに神殿を建てる。
5 またイスラエルはエジプトの手前からユーフラテス川に至る中東の広大な土地を領土として支配するようになる。(大イスラエル主義ともいう)
6 その後、世界終末戦争が始まる。
7 ユダヤ人でイエスキリストを信じない人は滅ぼされ、信じる人々は救われる。
8 その後、イエスキリストを信じる人々は救われて、幸せな生活が待っている。(ユダヤ人でもイエスキリストを信じない人は地獄に落ちる。もちろん異教徒も落ちる。)

彼らは自分たちの最終の勝利を信じて、世の終わりが来るのを待ち望んでいるそうです。
また、中には、積極的に政治に関与して、世の終わりを来たらせるよう努力する人たちもいるというのです。

つまりアメリカの福音派は右記の4段階の前半にある今、強烈なイスラエル支持をしています。
それはユダヤ人を愛するが故ではありません。自分たちの信じる聖書終末予定表が現実化するのにユダヤ人とイスラエル国の存在が外せないからです。福音派は、トランプ大統領の首都宣言にも大喜びです

また、ブッシュのイラク戦争にも大賛成だったそうです。すべて自分たちのは聖書終末予定表の通りに進むようにできる事件やそれを進める人間が大好きなのです。自分たちの最終幸福が近づいてくると信じるからです。

さらに、重要なことですが、エルサレム神殿建設にも賛成なのです。

ユダヤ教のエルサレム神殿が将来建つべきとユダヤ教徒が考える場所には、今イスラム教の岩のドームが建っています。
ユダヤ教のエルサレム神殿を作るには、イスラム教の岩のドームを破壊しなければなりません。
もし、イスラム教の岩のドームにユダヤ人とキリスト教徒が協力して、破壊し出したら、イスラム諸国の反発は当然あります。おそらく、イスラム教VSユダヤ教・キリスト教の世界戦争になっていく可能性が高いです。

しかし福音派は、それでいいのです。世界戦争を望むからです。
なぜなら、彼らの信じる聖書の預言どおり話が進むことを、彼らは望むのです。世界戦争を待ち望み、その後に、自分たちが永遠に支配して幸せになる世界が来ると信じているからです。

「レフトビハインド」というアメリカのベストセラーのライトノベルがあり、キリストに信仰深い人たちが天にあげられ、残された(レフト・ビハインド)人々が善と悪の最終戦争に臨む話らしいのです。
その中で福音派の信仰を持つ主人公は、自分たちがキリス信者であるので、最終戦争の勝利者であることを確信しながら、善を代表する正義の味方として、悪と戦うという話だそうです。
何という楽観的で、自己肯定的な終末観なのでしょう。
アメリカ人は、黙示録を読んでも、陽気で楽観的なヤンキーとして読むようです。ある意味驚きました。

一方、ユダヤ教の聖典タルムードには「異教徒(キリスト教徒も含む)は家畜。ユダヤ人は支配者」「異教徒を騙して富を奪ってもいい」「キリスト教徒をばれなければ見殺しにして死に至らしめてもいい」など書いてあるという情報があります。また、タルムードをユダヤ人は異教徒に読ませないようです。
もし、この情報が正しいとすれば、陽気で楽観的なヤンキーとしたたかで計算高いユダヤ人が戦ったら、この地上においてはユダヤ人が勝ちそうです。(ユダヤ人についての情報は確定できませんが)

私は、アメリカ福音派について知ると、日本で幕末に平田篤胤を信じた平田派のことを思い出しました。
島崎藤村の「夜明け前」などに書いてあり、この掲示板でも取上げましたが、天皇の支配が来たら、自分たちの希望通りの天皇親政の世の中がきて自分たちは幸せになると信じて討幕に努力しました。しかし、明治維新になって、純粋な信仰者の平田派は、政権から切り捨てられ、政治的中心から排除されて冷遇されました。

私は、アメリカ人の福音派の終末信仰を狂的と思います。勝手に世の終わりの予定表を決めて信じ込むのは異常です。さらに、そうした終末が来るように自分たちで努力するなど、狂っているとしか思えません。世の終わりは人間がどんなに、あがいても神様が来たらせるものであり、人の力で招き寄せるものとは、私には到底思えません。

まるで、昔、福田恒存の文章で読んだ、自分の破滅を先回りして実現しようとするシェイクスピアのマクベスのようにも見えます。

大体、彼らの聖書から作った予定表も一つの解釈にすぎません。
例えば、カトリックはそうした解釈をしていません。聖書の終末の記述は、バビロン捕囚やローマによる神殿破壊の記述と終末が混じり合っており、どれが終末か、どれがバビロン捕囚やローマ時代のものか、判断しにくいと書いてあります。聖公会もアメリカの福音派の解釈とは違います。


アメリカの25%もの大勢の福音派がこんな狂的な信仰を持ったのは、素人の考えではないに違いありません。きっと専門家(牧師など)に吹き込まれたのでしょう。

あの表現が象徴的で簡単には理解できないヨハネ黙示録やダニエル書の後半を専門的知識がない素人が勝手に解釈して信じる、しかもアメリカの25%(5000万人くらい)の人間が同じような予定表を信じるなど信者だけで行った結果であることは、絶対にありえません。信者たちが信頼する牧師が教え。牧師の言うことを素朴な信者が信じ込んだのでしょう。
では、一体、牧師たちは、どんな神学校で教わったのでしょうか。
私はかつてロックフェラー財団がアメリカの神学校に多大な献金をして影響力が強いという話を聞いたことがあります。

大体ユダヤ人は、新約聖書でキリストを殺した張本人で、イエスキリストもパリサイ派を「へびよ、まむしの子らよ」と最大限の否定をしています。現在のユダヤ教徒は、パリサイ人の末裔です。今までイエスキリストを十字架で殺したことを後悔したり悔い改めたりしていません。今でも「イエスキリストは偽預言者で殺されるべき人」と思っています。そうした人々をキリスト教徒が応援するのは、おかしいとしか言えません。
もちろん福音派たちは心底ユダヤ人とユダヤ教が好きなのではなく、福音派の終末予定表に必要だから応援しているにすぎません。
しかし、だとしても何か異常なものをそこに感じます。

こんな宗教と政治を混同し、自己肯定的に都合よく終末を解釈して押し進める人々の後押しで、現在、終末は進んでいるのです。異常という感じがします。
前回の現代のユダヤ人とユダヤ教についての疑問も合わせて、考えると、キリスト教、ユダヤ教の中で、得体のしれない動きがあり、それが現実社会に終末をもたらすべき、蠢動しているように見えます。
それは私だけの感覚でしょうか。


 

TPP署名、悪夢のTPPが始まる

 投稿者:大森  投稿日:2018年 4月 1日(日)08時01分28秒
返信・引用
  TPPが署名されました。

TPP関連法案も発効していく方向です。

私が縷々書いてきた恐ろしいTPPが始まろうとしているようです。

以下、私がTPPの一つの情報源としている元農林水産大臣、山田正彦氏のブログからの情報です。


~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

大切なことなので、最後まで読んでシエア拡散して頂けば有難い。

TPP11が今月チリで署名式が行われたが、安倍自公政権は6月中旬にも国会での批准手続きを終えると。




TPP11は米国抜きで30章8000頁のTPP協定に6頁の上書きしたもので、日本にとってはTPPが発効する以上に厳しいことになる。

日経新聞がISDSは凍結されたと報道したが、間違いで事実は政府と投資家との契約が適用されないだけで、日本にとっては何も変わらない。

農産物はTPPで、米国からの農産物の輸入を考慮して決めた枠なので、当然その分の凍結を求めなければならないが、日本だけは何も求めなかった。

カナダ、豪国、NZは米国抜きで関税がどんと下がるので絶好の農産物輸出の好機到来と各国のメデアも大歓迎の報道ぶり。

カナダは当初渋っていたが、トルドーもアベの大盤振る舞いに大喜び、2月16日の政府試算では豚肉を中心に日本政府の影響試算、1500億円を1国の輸出で賄うと。

NZも乳製品で、豪国は牛肉で初年度から倍増の試算を。日本政府は対策を打つので、900億円から1500億円の輸入増に止まると説明する。

政府には対策の具体策はなく、影響はないとしたトマト等の野菜だけでも、関税引き下げで東大の鈴木宣弘教授の研究室の試算では、992億円と。

それにトランプは日本の鉄鋼等に関税25%を要求スーパー301条も日本にも押し付けて、以前からの要求農産物の輸出の倍増が、いずれ現実のものに。

これに日欧EPAがこの春にも署名の動きが。政府はTPP11で農産物の価格は下がるが生産量も自給率にも影響はないと説明。

誰が信じることができようか。

日本の農業は今、音をたてて崩れようとしている。

4月11日6時半から9時まで連合会館(千代田区神田駿河台3の2の11)でTPP分析チームによるTPP11の勉強会。

TPP、自由貿易、グローバリズムで儲かるのは多国籍企業と富裕層だけ。

3月31日1時から5時まで、明治大学リバティタワー1階ホールで「グローバリズムは私達を幸せにするか!?」の映画と講演を致します。

講師は辻信一鈴木宣弘両教授に植草一秀さんのコーディネートです。

私の事務所も事務局を引き受けています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~~

以上です。
 

ユダヤ教とイスラエルについて

 投稿者:大森  投稿日:2018年 3月 8日(木)11時29分21秒
返信・引用 編集済
   ご無沙汰しております。
 新年になり、賀正の言葉を書かなくてはと思いながら、あっという間に3月です。

 何を書くかいろいろ考えました。

 現代は恐ろしい時代です。
 最近の裁量労働や残業代ゼロ法案を見ても、権力者と富裕層は、国民を奴隷のようにして、過労死させることも、視野に入れているのだろうと思います。
今後書いていきたいのですが、水道が民営化し営利化し多国籍企業が水を支配する法案もちゃくちゃくと準備されているようです。種子法廃止と農業競争力強化支援法で、モンサントなどを政府が応援し、米の種をモンサントなど穀物多国籍企業が支配する道も進んでいます。

 一言で書けば、現代は一部の世界的富裕層が一般人を支配する体制が作られつつある時代であり、一般人の奴隷化が急速に進んでいる時代です。そして一般国民にはそれが知らされず、考えない多くの国民がその流れに流され、気づいている一部の人々が恐怖に震え、そして一部の人々が対抗している状況のように見えます。

 そうした中で宗教も一つの大きな役割を果たしています。

 今回はユダヤ人について書きます。前回のトランプ大統領のエルサレム首都宣言に引き続き、テーマはユダヤ教についてです。

 はじめに私ははっきり書いておきますが、ユダヤ人について、いかなる差別意識もなく、悪意もありません。私にはユダヤ人の知人はなく、具体的なユダヤ人との接触もなく、ユダヤ人差別だけでなく人種差別は悪だと思っています。
 私が以下書いていくのはユダヤ人とユダヤ教の真実を知りたいと思う真理探究心ゆえです。
 なぜユダヤ人とユダヤ教の真実を知りたいかと言えば、一つには、それは私がキリスト者で旧約聖書を読み込み、ユダヤ人に関心を持つためです。
 そして、もう一つの理由は、現代国際社会でユダヤ人が大きな影響力を持っているがゆえです。アメリカの政財界でユダヤ人が多く、そのためアメリカはトランプ大統領をはじめイスラエル国に親近感を持つ人間が大きく、世界や日本にイスラエルとユダヤ人の影響が大きいと考えるのです。その二つの理由で私は探求心でユダヤ教の真実を知りたいのです。

 私は現代のユダヤ人については非常に謎が多く、情報がはっきり公表されていない部分があるように感じるのです。

 私はユダヤ人について最初に疑問を抱いたのは、田川健三という人に「書物としての新約聖書」でした。

 その一部分にこうした意味のことが書かれていました。

 旧約時代のユダヤ人はあの地方に住んでいた人々だから浅黒い人々だった。そして現代で旧約時代のユダヤ人の末裔は現在のイスラエルなどの周辺に住む浅黒い人々だ。

 手元に「書物としての新約聖書」がないので正確な文は書けませんが、注釈にそうした内容が書かれていたのです。

 私は不思議に思いました。
 たしかに、旧約時代のユダヤ人はあの地方の人々なのだから、浅黒いというのはもっともだ。しかし、それなら、なぜ、現代のユダヤ人は白人なのだろう。私は、カフカ、アインシュタイン、マルクス、ウッディアレン、ボブディラン、キッシンジャーなどの白人であるユダヤ人を思い浮かべて不思議に思ったのです。

 それから、私は、小滝透という人の「神の世界史・ユダヤ教」という本を読みました。(この本は手元にあります)
 そこにはハザール人というコーカサス(黒海とカスピ海の間のあたり)地方の民族が8世紀ころにユダヤ教に改宗したというのです。10世紀にキエフ公国とビザンツ帝国にハザール帝国は挟み撃ちにされて、「国土の大半がキエフ公国の版図に入り、大多数のハザール人はロシア系ユダヤ人として取り残された。」と書かれています。また、残りのハザール帝国は、13世紀にモンゴルに襲われて、ハザール国は滅亡した。「膨大なハザール系ユダヤ人はウクライナやポーランドに散っていった」と書いてあります。

 これが白人ユダヤ人の先祖なのでしょうか。

 もし、そうなら白人ユダヤ人が現在のイスラエルに故国に戻る感覚で、戻るのは間違いだし、また神の命令とは言えないのではないでしょうか。白人ユダヤ人は、故国に戻るなら、コーカサスに戻るべきではないかなど思いました。

 私は最近、シュロモー・サンドという人の「ユダヤ人の起源」という本を読みました。(ちくま学芸文庫)
 これによると、1951年以降、この本の出版時期まで「ハザール人についての著作や史書の出版はヘブライ語では一つもない」「イスラエルの公共の場でハザール人の記憶を喚起することは、奇妙で場違いで威嚇的である意思表明だとその都度受け取られるようになった」とのことです。
イスラエル人の中では、ハザール人の情報は隠蔽されてきたというのです。

 私はポールジョンソンというイギリス生まれのジャーナリストの書いた「ユダヤ人の歴史」(上下・徳間書店)という本も読みましたが、この本でもハザール人の記述はありません。

 ハザール人の話や旧約聖書時代のユダヤ人が有色人種であるだろうことを視野に入れて説明しないと、旧約聖書のユダヤ人と白人ユダヤ人を直接結びつけることは、簡単にはできないようです。

 私はシュロモー・サンドという人の「ユダヤ人の起源」という本を読むと驚愕することが書いてあります。この人は、テルアビブ大学名誉教授であり、テルアビブはイスラエルの第二の都市であり、この人はユダヤ人であり、反ユダヤ的な人間ではありません。

 この「ユダヤ人の起源」によれば、ユダヤ人のディスアポラはなかったというのです。ユダヤ人がエルサレムの神殿を破壊された後に、イスラエルから追い出されて世界を放浪したという事実を証拠立てる文献はないというのです。そのため、ユダヤ人の放浪はなかったと考えられるというのです。
 ローマ人にもそれぞれの民族をそこから追放するという政策はないというのです。追放しないでそこで農業などをそのままさせて、税を取る方が安易で有益だからです。
 ユダヤ人の神殿を破壊し自治を奪ったのは確かですが、その土地から追放する理由はローマにはない。何のためにそんなことをする必要があるのかというわけです。
 むしろ自主的に出て行ったユダヤ人の影響で各地方の異民族がユダヤ教に改宗する場合があり、それがエルサレムなどイスラエルのユダヤ人以外の別の国のユダヤ人の存在の理由だというのです。
 つまりヨーロッパや地中海世界にいるユダヤ人の多くは改宗ユダヤ人なのであり、旧約聖書のユダヤ人とは血統も生活地も違う人々がいるということなのです。

 つまりエルサレム周辺から追放され放浪してヨーロッパや地中海周辺の移住したユダヤ人はそんなに多く存在しないことになります。もともとの各地の土着民がユダヤ教に改宗していったというのです。
 そうすると、故郷イスラエルに帰るユダヤ人という我々の持つイメージはどうなるでしょう。

 確かにイエス様の時代にはユダヤ教徒たちは、改宗者を求めており、各地で改宗者を得ていたようです。
 「あなたがたはひとりの改宗者をつくるために海と陸とを巡り歩く」(マタイ伝23章15節のイエス様の言葉)


 次にイスラエルについて不思議なのは、その国旗です。
 いうまでもなくイスラエルの国旗はダビデの星と言われる六芒星です。
 しかし、これをダビデの星というのはおかしいです。なぜならダビデと何の関係もないからです。旧約聖書のどこを読んでも六芒星の記述はでていません。
 旧約聖書でイスラエルを象徴する図像というなら、七本枝の蝋燭立てメトラです。これはまさしく、旧約時代のユダヤ人の象徴です。旧約聖書(レビ記)にしっかりと記述があります。しかし、ダビデの星といわれる六芒星は近代までユダヤ人、イスラエル人に何の関係もありません。私は六芒星をダビデの星と呼ぶことには論拠のないことであり、それについては、情報操作的なものを感じます。
 ウィキペディアによると1648年の30年戦争の際に、イエズス会によって決められたとのことで、ユダヤ教徒が決めたのではないのです。
 さらに19世紀にロスチャイルド家もそれを使用するようになったとのこと。
 ロスチャイルドは、イスラエル建国に大きな影響を及ぼし、テルアビブにはロスチャイルド通りという道もあるそうです。
 キリスト教のイエズス会が決め、ロスチャイルドが家紋にも使った六芒星を、一体誰が、旧約の由来の深いメトラを退けて、イスラエルの国旗に載せたのでしょう。一体何のために、そこにどういう意図があったのでしょうか。

 六芒星は魔術的なマジックサークルで使われることがあるようです。
 そうした宗教的に危険な面を含む図像がなぜ、国旗に使われているのでしょうか。

 私は新約聖書でイエス様がパリサイ人について批判している個所があるのを知っています。

「あなたがたもまた先祖たちがした悪の升目を満たすがよい。へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか」(マタイ伝32、33)
へび、まむし、地獄の刑罰、こうしたものは悪魔と結びつけられるイメージです。
愛と正義の人、イエス様とは思えない、ひどい言い方です。最悪の罵りです。しかし、イエス様は、なぜ、そんな罵りをしたのでしょう。
 私は、以前、旧約時代に、子どもを生贄としてモレクにささげる儀式を旧約時代のユダヤ人の一部がしていることを旧約聖書から考えてみました。子どもを生贄としてささげる儀式は、最悪の宗教儀式であり、悪魔的と言っていいでしょう。
 黙示録にはこうした記述があります。黙示録の著者は、ヒラデルヒアの教会にこう書きます。「見よ。サタンの会堂に属する者、すなわちユダヤ人と自称しているが、その実ユダヤ人ではなくて、サタンの団体に属している者どもから、罵られていることを知っている」
ユダヤ人だと言っていても実は悪魔を崇拝していた人々がいたのです。

 旧約時代のユダヤ人たちは正しいばかり人々ではなかった、ヤーウェへの信仰を見失った人々も多かったし、また幼児を殺す悪魔的な儀式を行っていた人々もいたのです。預言書を読むと、ユダヤの人々が多く、堕落していたことがよくわかります。預言者たちはイスラエルの民の堕落と罪を繰り返し糾弾しています。

 一体ユダヤ人が神に従う人々ばかりなら、なぜ、エリヤは正しかったのに逃亡しなければならなかったのでしょう。エレミヤはなぜ正しいことを言って、井戸の中に降ろされて留置されたのでしょう。
 イエス様は、なぜパリサイ人、祭司長、律法学者に憎まれ十字架につけられようとしたのでしょう。
 もちろん旧約時代のユダヤ人やイスラエル人がすべて間違っていたのではありません。主は、「バールに身をかがめなかった七千人を私は残しておいた」のです。(列王記19・18)
しかし、それは多数派ではありませんでした。

 エルサレムの神殿が崩壊した紀元70年に、ベンザッカイというパリサイ派の祭司が、エルサレムを逃げ出し、その後、ヤブネというエルサレムの西側でユダヤ教統括本部をつくり、ローマと敵対しないユダヤ教がここから始まります。その後のユダヤ教の出発点になります。
 ここを始めたのは、パリサイ人です。
 イエス様が「あなたがたもまた先祖たちがした悪の升目を満たすがよい。へびよ、まむしの子らよ、どうして地獄の刑罰をのがれることができようか」と罵ったパリサイ人。
「偽善なる学者、パリサイ人」、「白く塗りたる墓」「うわべは美しいが中には偽善と不法が満ちている」などとあの慈愛に満ちたイエス様が、激しく非難した人々。その人たちが、自分たちの教えを引き継ぐ場所をヤブネに作ったというのです。「預言者を殺し」ともあります。

 私は何度も書きますが、ユダヤ人差別主義者ではないし、ユダヤ人の知人もおらず、ユダヤ人がどんな人たちかも知りません。ただ、聖書を真剣に読む者としてユダヤ人の真実が知りたいだけです。
 また現代社会に大きな影響力を持つイスラエル国やイスラエル人の真実が知りたいだけです。

 そしてユダヤ人とユダヤ教について、最大の謎はタルムードです。

 タルムードは、ユダヤ教の聖典であり、ユダヤ人たちは、旧約聖書とともにタルムードを大切に信じて従っているということです。

 タルムードは、口伝律法(ミシュナ)とその解釈の集積したものです。モーセが神からホレブ山で受け取った、律法、出エジプト記の後半、レビ記、申命記などの旧約聖書の文字に書かれた律法が、律法としてありますが、それ以外に、口伝えで伝承されてきた律法が多数あり、それの解釈がされ、それを集めた書物がタルムードです。

 ユダヤ教を、旧約聖書のみを信じる人々と考えるのは大きな間違いです。彼らにはタルムードがあるからです。ユダヤ教徒は旧約聖書とタルムードを信じる人々です。

 しかしタルムードは存在さえもキリスト教信者でさえも知らない人が多いのです。その内容は秘匿されています。タルムードには、異教徒にはタルムードは見せてはならないと書いてあるらしいです。

 タルムードには異常な噂があります。インターネットで「タルムード、危険」と検索して出てきたサイトを見てください。
 タルムードには、異民族・異教徒を「ゴイーム」(家畜)と蔑み、「異教徒の富を奪っても構わない」、「異教徒は騙しても構わない」など危険な思想が語られているというのです。にわかに信じがたい話です。
 しかし、タルムードの全訳がないので、それが真実かを確かめられません。

 タルムードの良い部分を書いた本が、何冊かは出版、翻訳されています。
 タルムードの悪い部分を書いた本も数冊訳されているようですが、現在では入手困難です。古本で高価だったり、絶版だったりするようです。また、それらの本は、どこまで真実か、判断が困難です。

 一体、一神教で、自分たちの聖典を他民族に見せないというのは、おかしいことだと私は考えます。一神教の真理ならば人類全体に関係することです。一神教の考えからすれば「あなたたちはあなたも関係する真の神を知らない。だから、教えてあげよう」と考えるのが普通だと思います。現にキリスト教の聖典・新旧約聖書とイスラム教の聖典コーランは日本のどこでも大して無理せず入手し読むことができます。

 多神教なら、この神は我々民族にだけ関係あるので、他の民族には見せないということもありえます。
(しかし、神道、仏教、ヒンズー教などの聖典を異教徒も読むことはできます。)

 ところがタルムードだけはそうでないのです。
 旧約聖書の方は誰でも読むことができますし、一神教の神と信者の生き方を確認できます。
しかしタルムードを異民族は読めないのです。
 なぜなのでしょうか。タルムードに何が語られているのでしょうか。
 やはり人に読ませられない危険な思想が語られているのでしょうか。

 新約聖書には、イエス様は口伝律法を批判する箇所があります。
マルコ伝福音書7章「あなたたちは自分たちの言い伝えを守るために、よくも神の言い伝えを捨てたものだ」
 イエス様は、パリサイ人が供え物を父母にあげれば、親を敬うことを無視していいという口伝律法を痛烈に批判しました。イエス様にとって口伝律法は、旧約聖書の律法を捻じ曲げ、無効にする否定すべきものだったのです。

 イエス様が否定したパリサイ人がまとめた、イエス様が否定した口伝律法の集まりであるタルムード。それが旧約聖書の神の掟を否定するような内容である可能性は、新約聖書を読む限り、ないとは言えません。
 もし、「異民族は動物だ。異民族の富を奪ってもいいし、異民族を騙してもいい。それが神の教えなのだ。それを異民族に伝えてはならない。黙ってこっそり実行するのだ。」という教えをイエス様が見たら「蛇よ。まむしの裔よ。お前たちは偽善者だ。強欲と不法に満ちている」というかもしれません。

 何度も書くように、私はユダヤ人を差別したいのではありません。ユダヤ人差別など大嫌いです。
 ただ真実を知りたいのです。
 タルムードの全訳があれば、それが明らかになります。
 なぜ、異民族にはタルムードを知らせないのでしょうか。
 人類を作った神の教えなのに、他に民族に伝えてはならない言葉があるのでしょうか。

 タルムードに関して、ユダヤ人はどう思っているのでしょうか。
 ユダヤ人には、宗教を気にしない、世俗的ユダヤ人、宗教というより伝統を大切にする伝統派ユダヤ人、宗教的な正統派ユダヤ人、厳密に宗教を考える超正統派ユダヤ人がいると聞きます。
 それらの各派はどう考えているのでしょうか?
 世俗派と思われる、カフカ、ディラン、ウッディアレンなどの作品に接しても、選民意識はあまり感じません。世俗派ユダヤ人はタルムードに重きをおかないのでしょうか。
超正統派は現在の政治によって作られたイスラエル国家は否定すると聞きます。超正統派はタルムードをどう感じているのでしょうか。
 わかりません。
 わからないことだらけです。


 最後に現代の謎を書きます。
 トランプ大統領が、イスラエルの首都をエルサレムにすることを強行に進めています。
その背後にはトランプ大統領の支持集団の福音派がいるというのです。福音派がイスラエルを支持しているから、トランプ大統領がイスラエルの首都をエルサレムにするというのです。

 しかし、なぜ福音派がイスラエルを、ユダヤ人を支持するのでしょうか?

 理解できません。福音派は新約聖書・旧約聖書に忠実な人々です。それがなぜイエスキリストを十字架につけた張本人のパリサイ派の子孫たち末裔たちを支持し応援するのでしょう。
 私は、ユダヤ人を排斥せよ、差別せよなどとは決していいません。キリスト教徒とユダヤ教徒が憎み合うべきだなど決して思いません。
 しかし、自分の救い主と信じる救い主であるイエス様を殺し、否定した考えを持つ人々の末裔を支持し、応援しているというのは不可解です。いつ、ユダヤ教徒がイエスキリストを十字架につけたことに謝罪、反省をしたというのでしょう。そうした事実があるなら、教えてほしいです。今でも、ユダヤ教においては、イエスは偽預言者であり、殺されるべき人間とされているはずです。
 そうでないなら、教えてほしいです。
 自分の救い主を「偽預言者で殺されるべき人」と考えている人々を、キリスト教徒が支持し応援するのは、全く理解できません。
 応援ではなく、イエスを理解できるように説得するとか、信じるように導くのならわかります。
 最重要点について正反対の意見があるのにそれを無視して支持、応援するのは不可解としか言えません。

 むしろ、イスラム教の方がコーランでイエスを偉大な預言者とし、その母マリアをほめています。
 ならば、キリスト教徒はむしろ、ユダヤ教徒ではなく、イスラム教徒と仲良くした方がまだ筋が通ると思います。

 以上、今回はユダヤ教とイスラエルについて疑問を上げました。
 答えは今のところありません。
 ただ、現代社会の中心にかかわる問題が、ユダヤ教とイスラエル国にはありそうに思います。






 

レンタル掲示板
/56