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霊界から届いたハッチ判事の手紙(29)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2021年11月 9日(火)05時07分14秒
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  霊界から届いたハッチ判事の手紙(29)

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
https://www.youtube.com/watch?v=TkUHQtQVZFc&list=PLbPRSTyFexIqLs9eYPCF84D4nS62I20vU
Raku Raku Workout (らくらく毛管運動)


「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第44の手紙 内なる王国

 神秘主義はわかりにくいと考えている人たちは、私を”神秘主義”だと非難するかもしれないが、それを承知で、あるわかりにくい問題について解明したいと思う。
 人間の生は客観的でも主観的でもあるが、原則としては客観的なものだと以前話したね。希薄な素材の世界に住む”霊”の生は、同じく客観性と主観性をもつが、原則としては主観的なものだ。
 だが、ひとりで、あるいは他の人とともに、天国という場所を訪ねた話もした。これについて説明したい。”神の国は汝らの内にあり”という文言を覚えていると思うが、それは主観なのだ。同じように、「我が名のもとに二人、三人が集まるところには、我もそのなかにある」も主観なのだ。
 この希薄な素材の世界には、私がクリスチャンの天国と呼ぶ場所がいくつかあって、それらは、二人か三人、あるいは場合によっては二千人か三千人が、神の名のもとに集い、〈彼らの内なる神の国〉を楽しんでいる。
 魂の集団というのは客観的なものだ――つまり、それらの魂は時間と空間を共有している。あがない主とあがめるキリストの姿を同時に見ているとしても、彼らが楽しむ天国というのは主観的なものだ。
 これが、私ができる最も明確な説明だ。



 
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