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手紙37 空っぽのティーカップ(4)

 投稿者:竹哲@らくらく安楽詩の会  投稿日:2019年10月 2日(水)07時29分36秒
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  「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション、著作権フリー)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


手紙37 空っぽのティーカップ(4)



 理解してほしいのは、君の住む世界が俗っぽいように、こちらの世界も本質的には俗なところで、ここの住人にとっては神秘的ではないということだ。真剣に生きる魂には、あらゆる状況が神聖だ。ただし例外は涜神的な状況であって、地上と同じくこちらの世界でも両者が存在している。

 だが、孤独な婦人に話を戻そう。私はまだこの人をどうしてあげたらようかと考えていながら、ふと目を上げると、師がやって来るのが見えた。師は女性を伴っていたが、空っぽのティーカップがどれも同じに見えるように、ふたりの女性はそっくりだった。そこで、師と私は、彼女たちを二人きりにした。

「師が心にかけておられるのは、かなり成長した魂だけだと思っていました」と私は言った。
 師は微笑んだ。
「私が来たのは、お前を困難から救うためで、憐れな女たちを救うためではない」

 そして師は、ものごとの相対的な価値について説明を始めた。
「ある意味では、どの魂を救うことにも同じ価値があると言える。だが、もっと深い意味で言えば、そではない。私が強い者にかかわって、彼らのために時間をさいているからといって、もっとも弱い者の苦しみに無関心だと思ってはならない。救いの天使と同じように、私は自分が最も必要とされる場所に行く。私の教えは強い者にしか学べない。弱い者を救うのは、救世主たちやその弟子の仕事だ。それでも、救世主たちとわれわれは同胞であり、お互いそれを理解している。そして互いに自分の分野で働いている。救世主たちは多数を救い、われわれは少数を救う。彼らが受け取る愛は、われわれが受け取る愛より大きいが、彼らもわれわれも、見返りを得るために働いているわけではない。どちらも、自分の存在の法則に従っているだけなのだ。

 教師がすべての人に愛されるには、すべての人に知ってもらう必要があるわけだが、われわれは選ばれた少数の者の前にしか姿を見せない。なぜわれわれは救世主たちと違うのか?バランスを保つためだ。人間の目に見えるところに偉大な働き手がひとりいれば、目に見えないところにも別の働き手がいる。より偉大なのはどちらの教師か? そんな質問は無意味だ。北と南は相互依存に依存しており、どんな磁石にも極は二つあるからだ」

 
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