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手紙37 空っぽのティーカップ(1)

 投稿者:竹哲@らくらく安楽詩の会  投稿日:2019年 9月17日(火)06時20分54秒
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  「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション、著作権フリー)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


手紙37 空っぽのティーカップ(1)

 子供たちは、魂がどれほど年をとって経験を積んでいても、生まれ変わるたびに、地上での基準にそって相対的な価値観を教わらねばならないが、こちらの世界に来るとそうした価値は意味を失ってしまう。

 こちらにいるわれわれの日から見れば、家や土地や社会的名声があろうと、人間としての価値が増すことにはならない。私たちは他人が捨てた富から利益を得られない。”こちら世界”においては、私たちは自分で家を建てるが、材料はふんだんにある空気の素材なのだ。もし私が誰かが建てた家を使うとしたら、創造する楽しさを失うことになる。

 ここでは盗むに値するものはないから、誰一人夜中の盗賊を恐れない。退屈に襲われても、自分のなかに閉じこもればよい。退屈はそれ自体が自己中心的なものだから他の人の心中に侵入することはできないからだ。

 地上では、相続したものであれ、得たものであれ、肩書などに価値があると考えているが、ここでは名前は本人にとってすら重要ではなくて、名刺は天国の床の裂け目から落ちてしまう。召使い天使がそれを主や大天使に届けたりはしない。

 ある日私は、こちらに来たばかりの女性に会った。彼女は、こちらに来てまだ日が浅くて、自分はふつうの人間や天使より優れているという自負心を捨てていなかった。私はその朝、前世の生活のためにお気に入りの古代ローマ時代のトーガを来ていた。すると貴婦人は私をシーザーか、あるいは古代の貴族だと勘違いし、自分と同じ身分の女性が集まる場所へ導いてほしいと言った。

 私はそんな場所は知らないと言う他なかったが、彼女が寂しそうで困惑しているので、そばでしばらく休み、なんでも質問してみてはと言った。

 
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