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手紙16 見てはいけない(後半)

 投稿者:世話人の竹哲です  投稿日:2019年 2月11日(月)07時41分18秒
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  「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション、著作権フリー)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

手紙16 見てはいけない(後半)

 ふつう、ここに長くいますと言う人たちは年老いて見えない。師に理由を聞いたところ、しばらく経つと老いた人は自分が老人であることを忘れ、想いが若くなる、そして体は心で思い描く通りの形になる傾向があるから、外見も若くなる傾向があると教わった。他の場所と同様、ここでもリズムの法則が働くのだという。
 ここでは子供たちは成長し、心が望めば、ある程度の年寄りにもなれる。しかし、傾向としては、年を取り過ぎたり、若返ったりしてちょうど良い盛りの年齢を目指し、抗しがたい地球の引力が再び身に及ぶまではその状態を保っている。
 男も女もほとんどの人が、肉体での人生を何度も経験したことを知らない。最後の人生は鮮明に覚えているが、それ以前のものは夢のようなものなのだ。人は過去の人生の記憶をできる限り鮮明に覚えておくほうがいい。そうすることが未来の設計に役立つ。
 帰幽した友が全知全能だと考える人は、こちら側の生活が地上の生活の延長に過ぎないと知れば、どれほど失望するだろうね! もしも思考と願望が単に物質的快楽のみに向けられていたのなら、ここでの思考と願望も同様のものとなる。私は本物の聖者たちにここで出会った。彼らは地上の生活を聖者の理想に従って生きようとした人たちであり、いまは自由にそうしている。
 ここの生活は自由だ! 地上で人々を奴隷にしている機械の歯車のような生活はまったくない。私たちの世界では、人は自分の考えにしか縛られない。思考が自由なら、彼も自由なのだ。
 しかし、私のように哲学的なことを考える霊は少ない。哲学者よりも聖者のほうが多い。彼らのもっとも高い理想は、真剣に活動するときには、哲学的な生き方よりも宗教的なものになるのだろう。
 こちら側でいちばん幸福な人は画家ではないかと思う。こちらの素材は本当に軽くて微細で、それゆえに簡単に扱えるびで、空想が容易に形になってしまう。ここには美しい絵がたくさんある。芸術家の幾人かは、地上の画家の心の目に自分の絵を印象付けようと試み、しばしば成功している。
 こちらの本物の芸術家にとって、君のいる世界の画家がアイデアを受け取り、表現してくれることはとてもうれしいことだ。地上の画家がどれくらい上手にアイデアを表現してくれるか、常に見ることはできないかもしれない。ひとつの素材からもうひとつの素材を透視するには、特別な才能か特別な訓練が必要なのだ。だが、インスピレーションを与えた霊は、受け手の心のなかの考えを察知し、自分の着想が地上で表現されつつあると察知できる。
 詩人の場合も同じだ。ここにはうっとりするような叙情詩があり、地上の感受性豊かな詩人の心に印象を刻んでいる。ある詩人は、短い叙情詩のほうが長時間の努力が必要な叙事詩や劇詩よりも容易にそうすることができると語った。
 音楽家の場合もまったく同じ。君が美しい音楽の演奏されているコンサートへ出かける時、周囲には音楽好きの霊たちが取り囲み、その調べに酔いしれている。地上の音楽は、こちらでもたいそう好まれている。音色が聴こえるのだ。だが、感受性の強い霊はへたな弦楽器の演奏には近づかない。私たちは弦楽器の音楽を好んでいる。地上の事柄のなかで、音がいちばんそのままの形でこちらの世界に届いてくる。音楽家たちに言ってあげなさい。
 彼らが私たちの音楽を聴くことができたなら! 私は地上にいるときは音楽を理解しなかったが、いま私の耳はそれに馴染んでいる。時々、私たちが君たちの音楽を聴くように、君たちも私たちの音楽を聴いているのではないかと思えてしまう。
 君は私がどこへ出かけて時間をつぶしているか不思議に思うだろうね。この国には、私が飽きることになく訪問する素敵な場所がある。それは私の町から遠くない山の中腹にある。丘を上ってゆく細い曲道があり、その少し上に、屋根のある囲いでできた小屋がある。小屋の下の方は側面が開いている。私は時々、ここに何時間もいて、道の脇を流れる小川のせせらぎに耳を傾けている。細くて高い木々は私の兄弟のように思える。当初、物質界の木々ははっきり見えなかった。だが、私はいい匂いのする新しく綺麗な板でできた小屋に入り、棚か寝台に寝そべり、目を閉じて努力すると――いや、それは努力ではなくて、漂うという感じだ――この美しい場所を見ることができるのだ。ただし、この時、そちら側は夜間であり、私は自分の発する光で見ているわけだ。私たちが24時間のうちの暗い時間帯に旅しているのは、明るい太陽のもとでは何一つ見えないからだ。太陽の強烈な光は私たちの光を消してしまうのだ。
 ある晩、ライオネル少年を連れ出し、この小屋のなかに残しておき、少し離れた場所に行ってみた。後ろを振り返ると、小屋全体が美しい輝きで光っていた――ライオネル自身の光だった。屋根の尖った小屋は、内側から照明された真珠のように見えた。美しい光景だった。
 それから私はライオネルに近づき、彼の番だから少し遠くへ行くように言い、私は小屋のなかに入った。そこにいる間、彼が同じ現象を目撃するか、私が濃い物質――建物の板壁を通して彼のような光を放つことができるかどうか知りたかった。後で彼を呼び、何か変わったものを見たかと聞いた。
「お父さん、あなたはなんて素敵な人でしょう! 小屋が燃えているように見えたけど、どうやったの?」
 これで彼も私と同じものを見たことがわかった。
 だが、もう疲れたのでこれ以上書けない。お休み、良い夢を。



 
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