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「生きている死者からの手紙 39」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月20日(金)05時33分47秒
  「生きている死者からの手紙 39」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
https://www.youtube.com/watch?v=TkUHQtQVZFc&list=PLbPRSTyFexIqLs9eYPCF84D4nS62I20vU
Raku Raku Workout (らくらく毛管運動)

らくらく毛管運動は、脳梗塞で両手が痺れたとき

手紙25 影のない世界(後半)

 ライオネル少年のことは長い間話さなかった。彼はいま、自分を再び産んでくれるエンジニア一家を選ぶアイデアに夢中になっている。彼の考えはいつもそこに戻ってゆく。

「どうしてそんなに急いで私のもとから離れてゆくのだ?」。彼がこの話題を持ちだした時に聞いてみた。
「でも、ぼくはあなたから離れるつもりはありません」と彼は答えた。「夢のなかであなたを訪ねます」
「すぐにではないね」と私は言った。「君は囚人のように、目が見えず耳も聴こえない状態で長く過ごすから、私が地上へ戻った後でなければここを訪問することはできないかもしれないね」
「それじゃ、ぼくと一緒に行こうよ」。彼が尋ねたのは、「ねぇ、お父さん、ぼくたち双子で生まれてはいけないの?」
 このアイデアは突拍子もないので、私は大笑いした。だが、ライオネルは本気だった。
「双子っていますよ」と真顔で言うのだ。「ぼくはボストンにいた頃、双子の兄弟を知っていました」

 私が地上へ帰還する時、誰かと双子になろうとは思わない。だからライオネルには、私と一緒にいたいのなら、しばらくいまいる場所にいてほしいと言った。
「でも、どうして一緒に行けないの?」。彼はまだこだわっていた。「せめて従兄弟や近所の人はどう?」
「そうだな、たぶん」と私は言った。「お前が必要以上に急いですべてを台無しにしなければだ」

 この少年には不思議なところがある。この世界では、希薄な素材を使えば無限の可能性があり、発明したり実験もできる。それでも彼は、鉄鋼に自分の手を触れたいのだ。なんと奇妙な!

 ある夜、少年を連れて君を訪ねよう。それで君も彼を見ることができる――君が熟睡する前という意味だが。われわれは本物のビジョンとして見えるだろう。睡眠中のビジョンは、目覚める時に通過する物質の振動によって混乱してしまう。少年のことを忘れてはいけない。私は彼に、ここに来て君の手を通して書く方法を明かした。彼は興味津々だ。
「ぼくもこの方法で電報を打っちゃいけない?」と聞いた。私は、それはいい考えではないと答えた。彼は、代金を払って送られる地上の電報のいくつかを邪魔しかねない。

 時には、彼を伴いパターンの世界へ上昇する。彼はそこに自分の小さな模型を持っていて、私が他の事柄を調べている間、それで遊んでいる。それは車輪の模型で、彼は指先から電気を出して回転させている。そうだ、鉄でできた模型ではない――君の知っている鉄ではない。君が鉄を呼ぶものは重すぎる! この世界に裂け目すら作らず、地上へ落下してしまうだろう。

 理解してほしいのは、ふたつの世界は違うバイブレーションの物質でできていて、かつ、違う磁力でチャージされていることだ。ふたつの物体が同じ空間を占めることはできないと言われるが、この法則はふたつの物体には当てはまらない――ひとつが君の世界に所属し、もうひとつが私の世界に属する場合だ。水は熱湯になっても濡らすことができるように、1フィート四方の空間は、1フィート四方の地上の物質と1フィート四方のエーテル素材の物質を収容することができる。

 これは要点をはぐらかすような話ではない。君たちは、私たちがここで使っている物質を表現する言葉を持たない。それは君たちが何一つ知らないからだ。ライオネルと彼の電動車輪がもしも、君の暖炉の前の絨毯に置かれたとしても、君には見えない。燃える薪の魔法の力を借りても見えないだろうね。少なくとも昼間は絶対に見えない。
 ある夜――このことは別の機会にしよう。いまは行かなくてはならない。

 

「生きている死者からの手紙 38」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月19日(木)05時06分9秒
  「生きている死者からの手紙 38」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
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手紙25 影のない世界(前半)

 ここに来てしばらくして、この世界でもっとも風変わりな光景を見た。

 ある夜、ゆったりと歩いていた時、人々の集団が近づいてきた。大勢の人だったので、彼らのいる場所は強く光っていた。この光を見ているうちに、ヘルメス文書のことわざが頭に浮かんだ。「光がもっとも強いところにでは、影もいちばん濃い」。だが、彼ら、男や女を見ると、まったく影を投射していなかった。

 いちばん近くの男に挨拶した――この時、私はここに来たばかりで、いまよりも物知らずだったことは知っているね――そして、煌々と照らされた世界なのに影ができないという奇妙な現象について尋ねた。彼は私の問いに微笑んで、こう言った。
「あなたはここに来て間もないですね。そうでしょう?」
「はい」
「それでは、私たちがこの世界を自分たちで照らしていることを知りませんね。私たちの体を作っている物質は光を放っているのです。そこからあらゆる方向へ光が出ているのですから、どうして影ができますか?」
「太陽の下でもですか?」と私は聞いた。
「ああ」と彼は答えた。「太陽のもとでは、私たちの体はまったく見えないことを知っていますね。太陽光は粗くて強烈ですから、霊の光を消してしまうのです」

 いまこの時、君のそばの暖炉で燃える木の温かさを私が感じていると言ったら、おかしいだろうか? 燃える木には魔法の力がある。燃焼する石炭は、これとは違う効果をサイキックな雰囲気に醸し出す。ビジョンを見たことがなく、繊細な感情にも鈍く、見えない世界からの予兆も感じない人は、燃え上がる焚き木の前で毎日1ないし2時間瞑想してみるといい。すると、彼の両眼やほかの希薄な感覚が目覚め、それまで夢見たことのないものが見えるだろう。

 火を持つ神を崇拝する東洋人たちは、賢く、数々のビジョンを得ている。燃えるろうそくの光にも、焚き木とは違うものの、同じような魔法の力がある。時々、夜は1本のキャンドルだけ灯して、瞑想しなさい。そして「虚空」からどんなビジョンが出現するか見てみるといい。


 

「生きている死者からの手紙 37」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月18日(水)05時05分28秒
  「生きている死者からの手紙 37」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
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手紙24 禁じられた知識(後半) (乃木希典将軍の殉死を目撃)

                                         その後。

 君が強く望んでいたことを実現できた――偶然溺れてこちらに来た例の少年を見つけたのだ。

 君が彼の写真を見ていた時に、私も君の目を通して見ていたので、顔を記憶していた。彼は当惑してさすらっていた。君のことを話し、支援してほしいと頼まれたと話すと、驚いていた。

 彼にはほんの少し助言できた――というのは、友人がいたからだ――年老いた男で、私よりも近い存在だった。少年は少しずつ、新しい環境に順応してゆくだろう。

 君は彼に話しかけないほうがいい。彼は別の道を歩んでいて、世話をする人がいる。友人たちがいるのだ。私のしたわずかな助言は情報の類だった。彼は思い込みから目覚める必要があり、私の助言は2、3の心地よくて教育的な時間の過ごし方だった。

「時間の過ごし方」という言い方が不思議だろうか? もちろんここにも時間はある。連続のあるところには、時間もある。すべてが、つまり過去や現在、そして――未来と言おうか、それらが同時に存在する「時」が来るかもしれない。しかし、過去や現在、そして未来は、多少なりとも別個のものだから、時間もそうだ。時間は連続そのものだ。それ以外の何かだと思ったかね?

 内的には、つまり、自己の深淵では、すべてのものが統合されて存在するように思える沈黙の場所がある。しかし、そこにいる魂ですら、事象を別々に観察しようとすると、連続が始まるのだ。

「すべて」と融合することは別の問題だ。それは、時間のない状態のようだ。だが、人が何かと融合しようと考えたり、何かを意識した瞬間、時間が現れるのだ。
(訳者注、ハッチ判事が禁じられた知識として伝えてきた内容は、「ラマナ・マハルシの教え」の内容と一致しています。関心のある方は、ラマナ・マハルシについて文献を調べてください)

 

「生きている死者からの手紙 36」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月17日(火)05時06分8秒
  「生きている死者からの手紙 36」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
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手紙24 禁じられた知識(前半) (乃木希典将軍の殉死を目撃)

 このところ、私は多忙だった。私が先日、どこへ行ったか想像できないだろうね――日本の天皇の大喪儀を見に行ったのだ。そんなに短い間にパリから日本に行き、また戻ってくるなんて、君にはできないだろうね? だが、私にはできた。
(訳者注、明治天皇の崩御は1912年7月30日。大喪儀が執り行われたのは同年9月13日)

 出かける1時間前には、日本の天皇が崩御したことすら知らなかった。師が私を探して、一緒に行こうと誘ってくれたのだ。彼は、日本で起こる何かを見るべきだと言った。

 彼の予言は正しかった。私は、魂が、偉大な霊が自殺によって旅立つのを見た。悲しく、恐ろしいことだった。
 だが、私が書いているうちに師が横に来た。そしてこの問題については、これ以上書かないようにと助言した。
(訳者注、乃木希典という偉大な人物が自刃したのは同日の夜8時でした)

 ここでは恐ろしいことを、美しいことと同様に眺める。私が自殺について言えることは、もしも彼が、自らの手で死んだ者を何が待ち受けているかを知っていれば、どんな不幸な状態であろうとも思いとどまるだろうということだ。申し訳ないが、これ以上話すことはできない。君が関心を持つからだ。理論を何度繰り返したとしても、目撃証言には及ばない。

 師が現れて助言してくれたので、書く意欲がなくなった。後でもう一度挑戦したい。

【資料:最晩年(自決当日)の乃木夫妻】(ウィキペディアから)

 自刃前の乃木

 乃木は大正元年(1912年)9月10日、裕仁親王、淳宮雍仁親王(後の秩父宮雍仁親王)および光宮宣仁親王(後の高松宮宣仁親王)に対し、山鹿素行の『中朝事実』と三宅観瀾の『中興鑑言』を渡し、熟読するよう述べた。当時11歳の裕仁親王は乃木の様子がいつもとは異なることに気付き、「院長(学習院)閣下はどこかへ行かれるのですか」と聞いたという。(乃木は自刃の時まで学習院長であったため、自決後は院長が一時空席となっている。)

 自刃 乃木将軍邸

 大正元年(1912年)9月13日、明治天皇の大喪の礼が行われた日の午後8時頃、乃木は妻・静子とともに自刃して亡くなった。享年64(満62歳)没。警視庁警察医員として検視にあたった岩田凡平は、遺体の状況などについて詳細な報告書を残しているが、「検案ノ要領」の項目において、乃木と静子が自刃した状況につき、以下のように推測している。

 乃木は、1912年(大正元年)9月13日午後7時40分ころ、東京市赤坂区新坂町(現・東京都港区赤坂八丁目)の自邸居室において、明治天皇の御真影の下に正座し、日本軍刀によって、まず十文字に割腹し、妻・静子が自害する様子を見た後、軍刀の柄を膝下に立て、剣先を前頸部に当てて、気道、食道、総頸動静脈、迷走神経および第三頸椎左横突起を刺したままうつ伏せになり、即時に絶命した。

 将軍(乃木)はあらかじめ自刃を覚悟し、12日の夜に『遺言条々』を、13日に他の遺書や辞世などを作成し、心静かに自刃を断行した。
 夫人(静子)は、将軍が割腹するのとほとんど同時に、護身用の懐剣によって心臓を突き刺してそのままうつ伏せとなり、将軍にやや遅れて絶命した。
(以下略)

 

「生きている死者からの手紙 35」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月16日(月)05時07分41秒
  「生きている死者からの手紙 35」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
https://www.youtube.com/watch?v=TkUHQtQVZFc&list=PLbPRSTyFexIqLs9eYPCF84D4nS62I20vU
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手紙23 被告のための弁論趣意書(後半)
(訳者注、ハッチ判事は自分を被告と見立てて、法律家らしく弁論をおこなっています)


 友人に伝えなさい。私は子供ではないし、無分別な実験をする人間ではないと。地上での前の人生のみならず、多くの前世でも、私は高度な科学の生徒であり、全身全霊で真実の探求に努めてきた。私は決してふざけて誰かを使い、彼や彼女を傷つけたことはないし、真実の友であり生徒である君に対してもそうするつもりはない。

 そして君の人生や研究、仕事を邪魔する気もない。そんなことはナンセンスだ。地上を二本の足で歩いていた時も、私は危険な男だとは決して思われなかった。服を変えて、軽いスーツを着ているからといっても、私の性格はまったく変わっていない。

 私は世の中に言いたいことがあるのだ。当面は、君が唯一の筆記者だ。このことは、私の落ち度でも君の落ち度でもない。問題は、私が手紙を書きたいと望むことや、君がそれを書きたいということではなく、手紙が世の中に役に立つかどうかということだ。私は役に立つと思う。君もそうだろう。B――氏は、手紙は非常に価値があり、ユニークだと考えている。誰かさんと誰かさんは疑い、恐れている。それは私にも君にもどうすることもできないことだ。

 彼らに祝福あれ! 彼らはなぜ、私をドアから締めだすように鍵をかけるのだろう? 彼らの仕事をこちら側からしてあげたりはしない。彼らは仕事にふさわしい能力があるのだし、でなければ職を失うだけだ。私が行なっている仕事はかなり変わったもので、君は親切にも助力することに同意してくれた。

 君が得る報酬は少ないかもしれない。知恵者は頭を振り、自分の方が物知りだと微笑むかもしれないし、科学に詳しいと自負する者は、私は君自身の「潜在意識」だとほのめかすかもしれない。私はそんな仮説には腹が立たないし、君もそうだろう。

 君が心配していないのは当然だ。でなければ私は書くことができない。君の心が風のない湖面のように穏やかでなければ、私はまったく書くことができない。

 彼らに愛していると伝えてほしい。

 

「生きている死者からの手紙 34」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月15日(日)07時05分49秒
  「生きている死者からの手紙 34」(1914年の出版、ノンフィクション)
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手紙23 被告のための弁論趣意書(前半)
(訳者注、ハッチ判事は自分を被告と見立てて、法律家らしく弁論をおこなっています)

 君の手を使っていることで私が君に悪影響を及ぼすのではないかと心配している友人に伝えなさい。この問題は師と私の間で、君の側で何らか状態が生じる前に、徹底的に検討されている。

 いくぶんか不健康な地上の人間が、その肉体を無差別に開き、善意であるか悪意であるかはともかく、さまよう霊の憑依を許すという通常の霊媒のやり方とは、私たちの計画はまるで違うのだ。ここにいる私は、地上では君の友人であり、帰幽し、こちら側の大いなる知識によって君を導くために戻ってきた。

 私は君の神経系に通路を開けたりしない。そうすれば、無責任で悪意のある力が入り込み、憑依してしまう。事実、もしも、善意であれ悪意でれ、霊がそんな試みをしょうとするなら、私と対決しなければならないし、私は弱くない。私は、思い出したことや教わったことから、通常の霊媒と呼ばれる事柄から君を守護するための秘密を知っている。その上で、愛する者が帰幽したばかりなのですとの性急な要請を受けたとしても、絶対に君の体を貸してはいけない。いわゆる見えない世界のさまよう者たちは、君のところへ来て、肉体を入り口とするような権利を持っていない。たとえ彼らが、そうしたいと言っても、それは街角の群衆が好奇心や空腹や寒さを理由に君の家に押し入るのと何ら変わらない。許してはいけない。私には一度、許可された。だが、私は例外であり、誰かの個人的な欲求や好奇心に基づくものではない――君自身もそうだ。もう一度許可されるかどうか、私は疑っている。

 私が君と一緒に書き始めてから、多くのことが変化した。当初、私は君の手と腕を外部から使っていた――時々、君も覚えているとおり、翌日腕が利かなくなるくらいの力だった。それから、次第にこの方法に馴染み、別の方法も試してみた。そして君も書き方の変化に気づいたはずだ。当初はぎこちなく、大きくて不恰好な字だったものが、使っている道具の操作がうまくなるにつれて、徐々にはっきりしてきた。

 さて、過去数回は、また別の3度目の方法を試している。私は君の心に入り、テレパシー的に同調させて、君の心そのものに私が言いたいことを印象づけている。この方法で書くためには、君は完全に受け身となり、すべての個人的な思考を止め、私の思考に全身を委ねなければならない。だが、これは君が毎日、おもしろい本を読んでいるときに行なっていることだ。著者の導くまま、印刷された頁という手段で、君はうっとりし、受け身の状態で、心を著者に委ねている。
 通信を完璧にするこの方法は、私にはとても興味深い。


 

「生きている死者からの手紙 33」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月14日(土)06時52分53秒
  「生きている死者からの手紙 33」(1914年の出版、ノンフィクション)
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手紙22 永遠の蛇(後半)


 私は死期を悟った時、自分の記憶や哲学、それに理性を持ってゆくと決心した。

 ここで君を驚かせることを話そう。「心霊現象の法則」という本を書いた男がいて、彼は主観的な心と客観的な心のふたつの部分について考察していた。主観的な心は帰納的推論ができないと述べ、それゆえに主観的な心は客観的な心から与えられたどんな前提であろうとも受け入れ、しかもその前提をもとに無敵の論理を構築すると述べていた。主観的な心は前提の後ろにあるものを考えることができず、前提をもたらしたものを推察することもできないと述べるのだ。

 さて、私がいるのはこちらの素材でできた世界なので、人々は基本的には主観的な人生を送っている。地上の人々が基本的に客観的な人生を送っているのと同じようにだ。こちらの人々は、主観的ゆえに、彼らが地上に滞在していた時の客観的な前提に従って物事を判断している。それゆえに、いわゆる西欧諸国で生きていた者は、リズムの法則や輪廻転生の概念に馴染みが薄く、こちらに来た時に地上の生活へは戻らないという固定観念に縛られている。つまり、彼らの大半はまだ、与えられた前提から物事を判断しているわけだ。

 まだ理解できないのだろうか、君たちがここに来る時には、何を信じているかで自分がどうなるかがほぼ決定されるのだ。再生を信じない者は再生のリズムから永遠に抜け出せない。彼らは、リズムの大潮がその信念を奪い去り、準備しないまま、また、こちらの世界の記憶は忘れたまま、彼らを再び濃密な素材へと戻すまでは、自分の信念にしがみついている。彼らがここに地上の記憶を持ってきたのは、そうしたいと望んだからだ。

 再生を信じている多くの東洋人は、そうしたいと願ったので、前世の記憶を覚えている。
 そうだ、私は輪廻転生を理解した時に、地上を去る時に自分に呪文をかけておいた。出て行き、次に入って来る時のふたつを記憶しておこうと決意した。もちろん、再び重い素材の世界に入ってきた時にすべてを記憶していると、いま誓うことはできない。だが、できる限りそうすると決心した。そして、もしも間違った母親を選ぶのでなければ、いくぶんかは成功するだろうと思う。この点は十分に注意するつもりで、輪廻転生の考えに親しんでいる母親を選ぶつもりだ。可能なら、――氏として私が生きていた時に私を知っている母親を選びたい。そして、幼い私が、ぼくはお母さんが少女の頃に知っていた――氏なんだよと言っても、疑って私を叱りつけて心を閉ざさせるようにしない母親を選びたい。

 多くの子供がこの世界の記憶を持って地上へ入ってゆく。だが、そうした記憶は、「お前は神様の手で新しく創られたんだよ」などと絶え間なく聞かされているうちに失われてしまうのだ。

 永遠はじつに長く、地上にも天国にも、並の教師たちの哲学ではカバーしきれない事柄がたくさんある。

 君たちが不死の命という考えを理解し、しっかり掴むことができたなら! 始まりも終わりもない存在であることを理解できたなら、そこから価値ある何事かを始めることができるだろう。永遠を意識することが、すなわち素晴らしい意識なのだ。100万年の単位で物事を考える人には、小さな事柄はじつに些細な事柄にすぎない。その数字を10億年や、好きな何にでもすることができるが、同じ理屈だ。100万年、あるいは100万ドル、もしくは100万の何かという概念を理解できる人はいない。この数字は、年月であろうと金貨の数であろうと、単に大きな量を表すシンボルに過ぎない。また、この概念は決定的なものではない、決定しても何かがかならず抜け落ちる。百万長者が、決められた日時にどれくらいのお金をもっているか正確には分かりはしない。金利を考慮しなくてはいけないし、価値は変動するものだ。不死についても同じだ。君たちは100万年生きてきたとか、1兆年生きてきたとか考える必要はない。ただ本当に不死であって、始まりも終わりもないのだ。多寡はあるにせよ、ある程度の資産を持っていると言う者よりも、自分は金持ちだと思う人の方が金持ちなのだ。だから永遠という意識に安住し、永遠を意識して活動した方がいい。

 今日はここまでだ。
 

「生きている死者からの手紙 32」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月13日(金)05時12分2秒
  「生きている死者からの手紙 32」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
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手紙22 永遠の蛇(前半)

 今夜は永遠について話したい。私はここに来るまでこの問題が把握できなかった。ただ年月や世紀でしか捉えられなかった。しかしいま、環の全体が理解できる。物質界から出て来ることや、そこへ入ってゆくことは、自我・心臓の収縮と弛緩と何ら変わらない。そして永遠という視点に立てば、ほんのわずかの時間でしかない。君には人生は長い時間だろうね。私もそう感じていたが、いまでは違う。

 人はいつも言うね、「もし人生をやり直せたら、あれやこれをやってみたい」と。しかし、誰一人として、同じ人生を繰り返しはしない。ちょうど心臓が1秒前に打った鼓動をもう一度打たないように。すべての人は次の人生のために準備することができる。君が人生に失敗したとしよう。すべての人は、その最高の理想から見れば、失敗するものだ。だが、考えることのできる人なら、その経験を吸収し、次へと持って行くことができる。彼は、地上でもう一つの人生を送るために陽光のもとへ出て来た時に、前の人生の経験を事細かに覚えていないかもしれない。幾人かは十分な訓練と強固な意志によってそれができる。だが、どんな人生であっても傾向というものがあって、自分では説明できない衝動や欲求はたいてい場合、持ち越されてゆく。

 君たちは、現在の人生が唯一のものと考えるクセを捨てなければならない。それに、死んだ後のこちらの世界で同じ状態が永遠に続くと考えてはいけない。こちらの希薄な素材のなかで永遠に存在し続けることに耐えられないのは、君たちが閉じ込められている濃密な素材のなかで永遠に生きられないのと同じだ。飽きてしまうだろう。我慢できなくなるはずだ。

 リズムの法則という考え方をしっかり記憶しておきなさい。存在するすべてのものはリズムの法則に従っているし、神々でさえ――私たちよりは大きな、長い干満のサイクルではあるが――そうなのだ。

 私は地上を去りたくなかったので、最期まで抵抗した。だがいま、当時の状態を思えば、私がここに来るのは必然だったとわかる。準備を早くしていたら、もっと長い航海のために、私という船に多くの食料を積み込んでいたと思う。だが、石炭と水を消費してしまったので寄港せざるを得なかった。

 小さな命の船であっても、70年という割り当てよりも長い航海のために準備することは可能だ。それでも石炭は節約しなくてはならないし、水を浪費してはいけない。人々のなかには水が命の液体だと知っている者がいる。

 死後の生が永遠ではなく、スピリチュアル界(霊界)で絶え間なく進歩し続けるわけではないと聞いて立腹する人が多い。しかし、反対する人の大半が、そもそもスピリチュアル界について自分で話していることの意味を知らない。

 永遠の命は、ほとんどの魂にとって可能だ――そうだ。だが、それは永遠にひとつの方向へ向かっているわけではない。進歩はカーブを描いている。永遠は環であり、蛇がしっぽを飲み込んだ姿をしている。君たちが濃密な素材の世界に出たり入ったりしない限り、物質を超越する方法は分からない。人々のなかには、自由に、濃密な素材に入り、また出ることができる人がいて、相対的な意味では、その状態でいつまでも留まることができる人がいる。だが彼らはどちらの世界も決して恐れはしない。

 私は死を恐れていた。こちらの世界には、彼らが死と呼ぶものを恐れている人がいる。彼らが何を死と呼んでいるか、想像できるだろうか? それは地上への再生なのだ。そうだ、本当に。

 こちらの世界にいてリズムの法則を知らない者がいるのは、君たちの世界の大半の人がそうであるのと同じだ。私が会った男や女は、再び地上へ戻ることすら知らなかった。地上の者が死について語るように、「大きな変化」について語り、その先にあるものは「証明されていないし、証明できない」と言った。愚かではないとしても、悲劇的ではないだろうか。

 

「生きている死者からの手紙 31」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月12日(木)05時06分49秒
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手紙21 魂の余暇(後半)



 彼がどこにいるか、師が教えてくれたので知っている。彼のことを師に話したのだが、師はとっくに彼の存在を知っていた。これはかなり奇妙なことだ。なぜなら、彼は、師がほんのわずかでも関心を持つようなタイプの男ではなかったからだ。だが先のことは分からない。彼は次の人生で、たぶん、「教師たち」から教わった哲学を本気で学ぶのだろう。

 ところで私は、この世界のより大きな余暇について話していた。君ももう少し余暇のことを考えて欲しい。怠惰になれというのではなく、心の受動的な状態は、能動的な状態同様に貴重なのだ。君が受動的な心でいる時、私たちからのコンタクトが容易となる。君の心や体が常に何かで捕らわれている時は、どんな魂のメッセージであれ印象づけるのが難しくなる。毎日、何もしない時間をもう少し見つけなさい。時には何もしないでいるのだ。そうすると潜在意識が働き始める。そして内面の生が思い出されるが、その内面の生こそが、地上にいる君たちと私たちの生きる世界の接点となる。

 ふたつの世界は接していると言ったが、この内面の生を通して接しているわけだ。君は内面へと入り、こちらへ出てくる。これは逆説(パラドックス)だが、逆説には偉大な真実が秘められている。矛盾は真実ではないが、逆説は矛盾ではない。

 人々がこちらの世界で滞在する時間の長さには大きな違いがある。ホームシックのことを言ったね。ここには地上を恋しがる魂たちがいる。彼らは時に、すぐに地上に帰ったりするが、たいていは間違っている。人が若くて、最後の人生で使わなかったエネルギーをまだ残しているのでなければ、あまりに早い地上への帰還によって、力強く再生できないことになる。

 地上では詩人や夢想家の幾人かが内面の生へのホームシックにかかっているというのに、ここの男が地上へのホームシックにかかっているのは不思議なことだ。

 「内」と「外」という言い方は分かりにくいかもしれないが、君が内へ入ると私たちのところへ来る、私たちが外へ出てゆくと君のところへ来るということを覚えておきなさい。ここでは私たちはふつう、常に主観的な人生を生きている。私たちが君の世界に触れれば、そうするだけ客観的になる。そして、君が私たちの世界に触れれば、君も主観的になってゆく。それさえ知っていれば、君はいつでも、短い時間、私たちのところへ来ることができる――つまり、十分なほど深く君自身のなかへ潜ることによってだ。

 実験したいのであれば、そして恐れないのなら、意識をすべて失わない状態で君をここに連れてくることができる――私が言いたいのは、熟睡状態ではなく、ということだ。実験したくなったらいつでも呼んで欲しい。すぐに来れない場合も、落胆する必要はない。その時は、私は何か他のことをしているのだろうし、そうであれば別の機会に訪ねて来よう。

 急ぐ必要はない。しっかり覚えておいて欲しい。今年できなかったことは、たぶん、来年できるだろう。だが、いつも何かを追いかけているようでは、この特別の仕事を成し遂げるのは難しい。永遠は、一人の人間の魂が最大限に成長するためには十分すぎる時間だ。「人生の目的は人生そのものだ」というのは、いい言い方だ。永遠を新しい角度から学ぶ機会があったので、私は永遠をさらによく理解できた。以前には分からなかったことが分かる、それは、私はどんな時間も無駄にしていなかったということだ。失敗の数々でさえ、貴重な経験の一部だった。失敗するのは再び得るためだ。私たちは時には、人生に出入りするように、力を得たり失ったりするわけだが、それは内と外に何があるかを学ぶためなのだ。すべての事柄同様、この点において、人生の目的は人生そのものなのだ。

 急いではいけない。人はゆっくりと力や知識を手に入れる。でなければ力づくで奪おうとするだろう。意志は自由だ。だがゆっくり成長すれば、反動が少なくて済む。

 

「生きている死者からの手紙 30」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月11日(水)05時05分45秒
  「生きている死者からの手紙 30」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
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手紙21 魂の余暇(前半)

 この世界にいる喜びのひとつは、暇な時間があるので夢を見たり、自分をよく知ることができることだ。

 もちろん、なすべきことはたくさんある。だが、数年後に地上に戻るつもりでいても、自分を知るための時間はたくさんある。地上にいた時も、それなりに自分を知ろうとしていたが、ここでは雑事が少ない。服を着たり、脱いだりするのも手間がかからないし、自分のために、あるいは家族のために生活費を稼ぐ必要もない。

 君も時間があれば、ぶらぶらした方がいい。君は、望むことなら何事であれ、できるはずだ。たとえば私は数年以内に、この四次元世界の状態について一般的な知識を蓄え、かつ、いくつかの前世へ戻り、学んだことを吸収したいと考えている。現時点までに私の魂が体験した事柄を統合したいのだ。そしてそこから、未来の人生で、もっとも楽に、なにができるかを判断したい。私は、絶対と言い切るわけではないが、再び生まれる時に、この知識をもって行けると信じている。

 君や、あるいは君たちの誰かに、いつどこを探せば私に会えるかを教えておこう。いや、そんなに驚かないで! まだかなり先の話なのだ。早ければ急がなくてはならないし、私はそうしたくない。帰還を早めることはできると思うが、それは賢いやり方ではない。そうすれば私が望むよりも少ない力での帰還になってしまう。作用と反作用は、互いに反対方向に同じ力で働くものだし、力のまとまりである自我は、与えられた時間の範囲内でしかエネルギーを生み出せない。だから、力強い帰還に必要なだけのエネルギーを集めるまでは、この希薄な素材の状態のなかで休息したほうがいいと思う。だが、私は他の魂たちの真似はしない。彼らは地上にいた時にその生活に飽きたごとく、こちらの世界にも飽きてしまい、半分無意識の状態で、リズムの法則の逆らいがたい力によって地上へと送り返される。私はリズムの法則を操りたいのだ。

 私がここに来て以来、ひとりの男が地上へ戻っていった。私が会った時は、ほぼ準備ができていた。不思議なことに、彼自身は準備ができていることを知らなかった。色んなことに飽きたと言い、もっと休みたいと望んでいた。休息したいという自然な欲求は、物質の扉を再びこじ開けるために必要な最大限の力を用意するためだったのだろう。ここへ来るのはたやすいが、こちらの世界から君の世界へ行くにはかなりの努力を必要とする。


 

「生きている死者からの手紙 29」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月10日(火)05時07分21秒
  「生きている死者からの手紙 29」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

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手紙20 神を見つけた男

 君には不思議かもしれないが、こちらの生活について教える最適の方法は、私の体験や、男や女と交わした会話を伝えることだろうね。

 しばらく前に、哲学者よりも多くの聖者に会ったと言ったね。そこで今日は、たぐいまれな聖者と思える男について語りたい。そうだ、ちっぽけな聖者もいれば偉大な聖者もいる、小さな罪や大罪があるのと同じだ。

 ある日、私は山の頂上を歩いていた。「歩く」と言ったのは、ここでは歩くのにほんのわずかのエネルギーしか使わないわけだが、そんな風に感じたからだ。

 頂上で、ひとりでいる男を見た。はるか遠くを眺めていたが、彼が何を見ているのか分からなかった。彼は思いにふけり、自分自身と交流しているのか、私が気づかない何らかの存在と心を通わせていたのかもしれない。

 私はしばらく待った。遂に長いひと息をした後で――私たちはここでも息をしている――彼は私を見て、やさしい笑顔で言った。
「兄弟、私に何かできることがありますか?」

 私は一瞬、気恥ずかしさを覚えた。彼がしていた甘美な交流を邪魔したのではないかと思ったからだ。
「お尋ねしても良いでしょうか?」と私は言った。「あなたはあそこにたたずみ、宙(そら)を眺めながら何を考えていらしたのですか?」

 私はともかく、学べることは何でも学びたいと決意していたので、ときに不躾な質問をしたとしても、私の熱意によって許されるだろうと感じた。

 男はひげのない綺麗な顔をし、若々しい目を持っていた。だが、彼の服装はありふれたもので、自分の外見には何ら構わないようだった。その外見へのむとんちゃくが、奇妙な威厳を醸し出すことがある。

 彼は私を見ながらしばらく沈黙していた。それから言った。
「私は神の近くへ行こうとしていた」

「では、神とは何ですか?」と私は聞いた。「神はどこにいるのですか?」
 彼は答えた。
「神はどこにでも存在している。神はいる」

「神とは何ですか」と私はしつこく聞いた。そして再び、彼は強調の仕方を変えて、答えた。
「神はいる」
「どういう意味なのでしょう?。」私は聞いた。
 神はいる、神はいる」。彼は言った。

 彼の言う意味が私に与えた影響は、共感の力のせいだと思うのだが、突然、私の心に閃光のように「神はいる」という言葉が入ってきた。そして彼が「神はいる」と言った時、意味していたのは、神でない存在は何一つないということだった。
 私の表情に、心を映した感情が浮かんでいたに違いない。なぜなら、聖者はこう言ったからだ。

「あなたは、神はいる。それに、存在するものすべてが神だということを知っているね?」
「あなたのおっしゃることが分かりかけています」と私は答えた。「でも、ほんの一部分でしかないのです」

 彼は微笑み、答えなかった。私の心は疑問で満たされた。
「あなたが地上にいた時は、神のことばかり考えていましたか?」
「いつもだ。その他のことはほとんど考えなかった。私はどこへ行っても『彼』を探したが、『彼』が実在していることは、ほんの時たまにしか意識することができなかった。祈っている時には、私はたくさん祈ったのだが、突然疑問が湧いてくることがあった。「お前は何に祈っているのだ?」と。そして私は大声で答えた。「神にだ、神にだ!」。だが何年も、毎日『彼』に祈っても、ごくたまにしか、真の神の意識を体験できなかった。最後には、ある日、私が森のなかでひとりでいたときに、偉大な照明が訪れた。それは、言葉の形で来たわけではない。むしろ言葉のない、形のない驚愕であり、思考の限界をはるかに超えた広大なものだった。私は地に倒れ伏し、意識を失ったに違いない。しばらく後で――どれくらいの時間だったか分からない――目覚め、立ち上がって周囲を見回した。それから徐々に、まだ感じてはいるが、私には到底手に負えないほどの体験のことを思い出した。

 そして、死すべき者が背負うには大き過ぎる、この啓示を言葉にすることができた。自分のために私が使うその言葉は、『存在するすべて、それは神だ』。一見きわめて単純に見えるが、じつは単純からは程遠い。『存在するすべて、それは神だ』。この言葉には私が含まれ、私と同じ存在、人間も動物も含まれる。木々や鳥たち、川ですら神の一部なのだ。でなければ、神は存在するすべてとはなりえない。

 啓示の瞬間から、人生は新しい意味を持つようになった。誰を見ても、啓示を思い出さざるを得ない――私が見ている人は神の一部なのだ、と。飼い犬が私を見た時、彼に大声で言った。『お前も神の一部なのだ』。川岸にたたずみ、水音に耳を傾けている時も、『私は神の声を聴いている』と自分に言った。私に対して怒っている人には、『いったいどうして、神を怒らせたのだろう』と自分に問いかけた。やさしい言葉をかけてくれる人には、『神はいま私を愛でている」と自分に言い、そう悟ったことで息もつけないほど感動した。人生は信じられないくらいに美しくなった。

 私は神に熱中するあまり、神を探し求めるあまり、人々には関心を払わず、身近な者ですら無視してきたのだが、あの日以来、私は人間の同胞たちとの交流を始めた。そして彼らのなかに神を探そうとすればするほど、神は彼らを通して私に応えてくださったのだ。そして人生はさらに素晴らしいものとなった。

 時には私の体験を人に話そうとしたのだが、いつも聞いてもらえるわけではなかった。このことから私が理解したのは、神は何らかの理由で意図的にご自分をベールに隠しておられるということだった。神は、ベールを破かれることを楽しまれているのだろうか? もしそうなら、私は全身全霊で『彼』の役に立ちたい。そこで私は、人々が私の到達した神の知識の概念を理解できるように心がけた。何年もの間、彼らに説いた。最初はすべての人に説いていたが、すぐに無理だと分かり、数人を選び、弟子と呼び始めた。彼らはいつでも私の弟子だと明かすわけではない。私がそうしないように頼んだからだ。だが、私は彼ら一人ひとりに、できる限り神から与えられたこの知識を伝えるようにと励ました。そして多くの者が、あの日私が森にひとりでいて『神はいる、神はいる』との啓示に目覚めて与えられた恩寵のほんのわずかでも感じるようになったのではないかと思う」

 こう言うと、私の質問の数々に答えぬまま、聖者は去っていった。私は彼に地上を離れた時とどのようにそうしたか、またここでどんな活動をしているのか聞きたかった――しかし彼は行ってしまった。
 たぶんいつか再会できるだろう。会えないとしても、彼から与えられた知識を君に渡した。彼が世界に伝えたいと望んでいたように、だ。

 今日はここまでにしよう。



 

「生きている死者からの手紙 28」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 9日(月)05時09分3秒
  「生きている死者からの手紙 28」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

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手紙19 天国の小さな家(後半)

 彼はやさしい言葉で慰めた。彼はまだ愛撫はしなかった。魂同士が触れ合えば刺激が強すぎ、女がすぐ近くにある形のなかに戻ってしまい、また失ってしまうと思ったのだ。夢のなかでは何度も女に出会っていたが、今回ほど生き生きとしたものではなかったので、女が本当に大きな変化を遂げたのだと感じた。

 女も手をつないだままで、外へは出ようとしない――「あれ」から離れようとしなかった。彼はその夜は一晩中、そしてこちらの世界を闇にする太陽が再び顔を見せて女の姿を隠した次の日も一日中、女と一緒にいた。
 そのうちに、善良な友人たちが女の肉体に触れて、生者には必要だが、死者にはひどく迷惑な、いわゆる聖なる儀式を行った。

 二日目の夜も、その昼間も、彼は女と一緒だった。彼は、悲しむ両親の鳴き声を聞いた。彼らは彼も娘も見ることができない。しかし二晩目に、女の子犬が、ふたりがたたずむ部屋に入って来て、彼らを見て悲しげな鳴き声をあげた。男はそれを聞き、女もまた聞くことができた。

 女は彼の言うことがはっきり聞こえるようになっていた。
 「みんなは『あれ』をどこに運ぶの?」と女は聞いた。

 彼はその時、彼自身の生命の抜けた形の上で涙で流す愛する者たちを、なすべくなく眺めていたことを思い出した。そこで、「ここから立ち去ってしまうのが良くないかい」と聞いた。だが、女はできなかった、そうできると思えなかった。
 三日目に、彼は恋人の苛立ちから、みんなが女の肉体を棺に納めているのだろうと知った。そのしばらく後に、見えはしないが、多くの人たちが部屋に集っていることを感じ、悲しげな音楽を聴いた。音楽はひとつの世界から別の世界へと届く、訓練された耳の持ち主でなければ聞き取れない人間の声よりも明瞭に聴こえる。

 恋人はしだいに苛立ちを増し、同情している彼も苛立ってきた。それからふたりはゆっくりと――本当にゆっくりとだ!――進んでいった。彼は言った。
 「悲しまないで。みんなは『あれ』を埋葬するのだ。でも君は私と一緒で安全だよ」。彼は恋人が混乱しているのを分かっていた。

 愛する者を失ったからという簡単な理由だけでは説明できない奇妙な沈黙が葬儀場を支配しているのは、意味のあることなのだ。残された者たちは、見えはしないが、地上を去った者の魂を感じている。彼らの魂は、混乱の最中にある去りし者への同情で満たされている。

 この変化は、以前にもそれが起きたことを覚えている人には苦痛はない。しかし人間はすぐに忘れてしまう。私たちは地上を「忘却の谷」と呼んでいる。

 地上で長い人生を生きた者は、よりたやすく肉体を離れることができると言われている。だがこの女はまだ若く、わずか30歳でしかないので、彼の手助けがあっても自由になるには多少時間がかかった。

 ある日(君の世界では夜だが)、彼は女に、彼女のために建てた家を見せた。それは文字通りの空中楼閣だった。女は一緒に家に入り、そこがふたりの家庭となった。

 時には、彼は女のもとをしばらく離れ、彼女もそうするだろう。地上同様ここでも、しばらく離れていると一緒にいるときの喜びが増す。だがそれは、つまり彼が女のもとを離れるのは、彼女が新しい生活に満足し、慣れてからの話だ。

 最初の数日間、女は地上にいた頃のように空腹を覚えたので、彼はこの世界のやわらかな素材を与えてそれをやわらげた。女はゆっくりと、地上とその習慣から乳離れしてゆき、時々、両親を夢のなかで訪ねる程度になっていった。

 死者の出てくる夢を無視してはいけない。それは常に何かを意味している。夢が象徴していることが常に正しいわけではない。なぜなら、ふたつの世界を隔てる扉は非常に狭く、通り抜ける間にしばしば思考がふるい落とされてしまうからだ。だが、死者についての夢は別物だ。私たちはこの方法で君たちに接触できる。

 先日の夜、私は夢のなかで君のところへ行き、君がいる塀をめぐらした庭の門の外の後ろに立っていた。私は微笑み、出てこないかと手招きしたが、君にこの世界に住んで欲しいと願ったわけではない。幽体離脱して出てきて欲しいと思っただけだ。君が時々こちらに来れば、私も君の世界に行くことが容易になるからだ。

 おやすみ。
 

「生きている死者からの手紙 27」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 8日(日)06時22分44秒
  「生きている死者からの手紙 27」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

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手紙19 天国の小さな家(前半)

 最後の手紙を書いた後で、たいへんおもしろい男と出会った。彼は恋人がこちらに来るのを10年も待っている。

 女は地上でみんなから、「彼は死んだのだから別の恋人を探したほうがいい」と勧められていた。しかし女は忘れなかった、毎晩、夢のなかで彼と会い、彼と一緒にこちらの世界にも来ていて、しかも目覚めたときには彼が話したすべてのことを思い出せたのだ。女は彼に、太陽の輝く世界にはそう長くいるつもりはなく、自ら光を放つ彼の世界へ来るつもりだと言った。

 ほんの少し前に、女が来たところだ。彼は長い間待ち続け、こちらの世界の希薄な素材で計画通りに彼女のための小さな家を建てていた。

 彼の話では、女は夢のなかで彼と再会し、死ぬのは翌朝なので一緒にいて欲しいと言ったそうだ。彼は驚き、女を地上にとどめようとした。それは彼自身が、突然の、苦痛に満ちた死を経験したからで、彼女にそんな痛みを感じさせたくなかった。彼は常に女を見守り、危険があれば警告してきた。だが今回は、最初のショックが過ぎた後で、女が本当に来る気なのだと感じた。そしてとても嬉しくなった。

 彼はこちらの世界で恋人を作らなかった。人が地上をこの上ないほどの愛情に満ちて去るとき、そして地上の恋人がそれを忘れないのなら、ふたりの絆は何年も強固なままで続く。君たち地上の者は、こちらの世界で学んだことをすぐに忘れてしまう、私たちへの想いが私たちを幸せにすることや、私たちのことを忘却してしまうことで私たちが取り残された気持ちになることもだ。

 しばしば、この世界で霊的に大きな進歩を遂げる者は、地上にいる、彼を愛した者たちが彼のことを忘れてしまう人なのだ。ことわざにも、「去る者日々に疎し」と言うではないか。

 私たちを忘却してしまえば、それは痛みを伴うが力となるのだが、すべての魂が霊的な知識の階段をのぼるのに必要な孤独という助けを渇望しているわけではない。

 恋人たちの話に戻ろう。その日は一日中、彼は女の近くにいた。休息も取らずに。君に言ったことだが、私たちは地上で太陽が輝いているうちに、ほんのわずかに休息をとる。その日一日、彼は女の近くにいた。太陽の光が強いので、女の体は見えなかった。だが、何時間も待った後で、突然、女の手が触れたのを感じた。女の姿は見えないが、そこにいることが分かった。そこで女に、かつて地上で話していた言葉で話をした。女はまるで理解できないようだった。もう一度話しかけたが、女は答えない。それでも、女の手がしっかりと握ってくるので、自分を感じているだろうと分かった。こうして手を取り合って、ふたりは太陽の闇のなかでたたずんでいた。男はこの世界に長くいるため希薄な音声でしか話せないし、女は無言で当惑していたが、それでも彼の手にしがみついていた。

 太陽が沈むと、女の顔が見え、大きく開かれた両眼には恐怖があった。女はまだ、自分であった肉体が残る部屋に縛られていたのだ。夏の日であり、窓は開かれていた。彼は、こちらの世界の昼であるかぐわしい夜へと女を誘ったが、女は手をつないだままで彼を離そうとしない。

 とうとう彼は少し離れた場所から、もう一度話しかけた。今度は声が聞こえて、女が返事した。
 「あなた」と女は言った。「どちらが私なの? ふたつ見えるの――そう感じるの――あそこにもいると。私はふたつの場所にいるみたい。どちらが本当の私なの?」
 

「生きている死者からの手紙 26」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 7日(土)06時44分55秒
  「生きている死者からの手紙 26」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

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手紙18 それぞれの地獄

 しばらく前に、地獄を訪ねるつもりだと言ったね。ところが、それについて調べると、いくつもの地獄があることがわかった。

 炎と硫黄という伝統的な地獄では満足できない者は、思考物質を使って自分好みの地獄を作っている。

 神がそうするのではなく、人々が自分自身を地獄に落としているのだと思う。私は炎と硫黄の地獄を探し、それを発見した。ダンテは私と同じものを見たに違いない。

 だが、ここには他にもそれぞれの地獄が存在してる。
(自動書記は突然、何ら理由もなく中断し、その夜は再開されなかった)



 

「生きている死者からの手紙 25」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 6日(金)05時09分36秒
  「生きている死者からの手紙 25」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

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 彼がいなくなると、私は自分でこの問題を考えてみた。ここにいる者たちが天使のようでないことはすでに観察していたので、ここでは多くの結婚や、地上の配偶者との再会が生じているようだ。男と女の違いは、地上同様はっきりしているが、当然ながら、その表れ方はまったく同じというわけではない。そして、この興味深い三角関係のトラブルがなければ考えもしなかった多くの問題が浮かび、どこかで読んだある人物の意見を思い出した。何かを誰かに言うまでは、自分の意見がどうなのかは分からないという意見だ。

 しばらくすると3人がまたやって来て、自分たちは、たぶん天国の天使のやり方に習って話し合ったと行った。一番目の妻は、夫が望むなら、もうひとりの妻と一定の時間過ごさせることに決めたと言った。

 ところが、男にはふたりの妻と結婚する前に、恋人、娘の恋人がいた。娘はこの世界のどこかに来ており、男は娘を探したいとしばしば考えていた。どんな機会があればそれが叶うというのだろう、私にはわからない。この状況は、哀れな男にはむしろ憂鬱だった。いつでも一緒にいたいと言う人がひとりいるだけではなくて、2人もいるのだ。それに彼のケースはめずらしいわけではない。たぶん、彼が2人のしつこい伴侶から自由になるには地上へ戻るしかないだろう。

 しかしながら、方法はあって、彼は孤独を守ることができるのだ。彼はその方法を知らないのだが。この世界でも、地上同様、自分自身を孤立させる方法があって、それは自分の周囲に壁を作ることであり、秘儀を知る者しか覗きこむことはできない。私はこの秘密を男に教えていない。たぶんいつか、彼が成長するために少し孤独を必要とする時にそうするだろう。当分は、ふたりの要求に対処することで、そのなかにある真実を見出すべく努力したほうがいいと思う。たぶん彼は、本当に、そして本質的かつ根本的にも、ふたりの女のどちらのものでもないことを学ぶだろう。ここでは魂は自分自身のものでしかなく、数年もすれば、自由を心から愛するようになるため、ほんのわずかでもそれを他者の所有に委ねようとはしなくなる。

 ここは人が心から望めば成長するには素晴らしい場所だ。だがわずかの者しかそのチャンスを求めない。大多数は、地上にいた頃の経験をなぞって満足している。月に護られた惑星の上でもそうあるごとく、意志は自由だと理解せず、魂がチャンスを逃すのを見るのは残念なことだ。

 ここには、人生――こちらの生、そちらの生、そしてもっと過去の生――の真の深みを学びたいと望む者をよろこんで助けてくれる教師たちがいる。
 もし人が、地上での最後の滞在が長い数々の人生の最新のものであることを理解し、遠い過去の記憶を取り戻そうと心を集中させるなら、彼は記憶を取り戻すことができる。幾人かの人は、物質のベールをただ落とすだけで、自分の霊を障害物から解き放つことができると思うだろう。だが、地上同様ここでも、「物事はこうではない、だからこうあるべきだ、ではなく、物事はあるがままにある」

 私たちは、準備ができたなら求める経験を引き寄せることができるのだが、多くの魂たちは地上でも十分に求めなかったし、ここでもそうだ。彼らに言いなさい、もっと求めなさい、そうすれば与えられると。

 

「生きている死者からの手紙 24」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 5日(木)05時07分44秒
  「生きている死者からの手紙 24」(1914年の出版、ノンフィクション)
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手紙17 霊界で出会ったふたりの妻(1)

 私はしばしば、他人の問題を裁くために呼ばれる。多くの人が私を「判事さん」と呼ぶが、ここではふつつ、私たちは地上にいた時の名前で呼ばれる。

 男女が、ありとあらゆる問題を抱えて私のところに来る、倫理の問題、利己主義の問題、論争まで持ち込まれる。君はここでは争いがないと思っていただろうか? たくさんある。長い長い時間のかかる争いもある。

 宗教に関して意見が異なると、論争は火を噴く。地上と同じ信仰を持ってここに来て、理想が目に見える形で、望むとおりのことを体験できるのだから、対立する教義の者たちはかつてないほど相手に不寛容になってしまう。自分が正しくて、相手が間違っていると確信している。このような頑迷な態度は、ここに来て間もない者に多い。しばらくすると、彼らはより寛容になって、自分自身の生き方を始める。おのおのが自分で築いた世界を楽しむようになる。

 君に私に裁くことを求められた問題の具体例を教えよう。

 地上にいた時に、同じ時期ではないが、ひとりの男と結婚した2人の女がいる。最初の妻が死に、男は新しい妻と結婚した――1、2年も経たないうちにだ――その男と妻がこちらに来た。最初の妻は、自分が男のたった一人の妻だと考えており、彼の行くところはどこへでもついて行く。彼女は、彼が天国で会おうと約束したと言う。彼は最初の妻にはまだ愛情を感じていはいるが、二番目の妻のほうへ気落ちが傾いている。最初の妻は物分かりが悪いと苛立っている。彼はある日、自分が関心を持つ研究を始めるために心安らかでいられるなら、ふたりとも要らない言った。彼らは私がここに来て強くなってから会った人たちであり、彼が私と一緒にいたがるので妻たちも夫と一緒にいようとやって来ていた。

 ある日、3人がやって来て問題を持ち出した。――というより、一番目の妻がそうしたのだ。彼女は言った。
 「この人は私の夫です。ですから、彼女は去らせて、夫は私のものにすべきでしょう?」

 私は二番目の妻に、何か言い分はありますかと聞いた。その答えは、ここでは夫以外に誰も知らないし、自分が最後まで妻だったのだから、夫は相手の女のものではなく自分のものだ、というものだった。

 その瞬間、聖書のサドカイ派の人々が同じような質問をキリストにしたという記憶が蘇った。そこで覚えている限り忠実にキリストを引用した。「彼らが死者から復活させられる時、彼らは結婚することも、嫁に行くこともない。天国の天使のようになるのだ」
 私の答えは、彼らの質問が私には衝撃であったように、彼らにも衝撃だったようで、考えてみますと言って離れて行った。
 

「生きている死者からの手紙 23」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 4日(水)05時14分8秒
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        エルザ・バーカーによる記録
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手紙16 見てはいけない(後半)

 ふつう、ここに長くいますと言う人たちは年老いて見えない。師に理由を聞いたところ、しばらく経つと老いた人は自分が老人であることを忘れ、想いが若くなる、そして体は心で思い描く通りの形になる傾向があるから、外見も若くなる傾向があると教わった。他の場所と同様、ここでもリズムの法則が働くのだという。

 ここでは子供たちは成長し、心が望めば、ある程度の年寄りにもなれる。しかし、傾向としては、年を取り過ぎたり、若返ったりしてちょうど良い盛りの年齢を目指し、抗しがたい地球の引力が再び身に及ぶまではその状態を保っている。

 男も女もほとんどの人が、肉体での人生を何度も経験したことを知らない。最後の人生は鮮明に覚えているが、それ以前のものは夢のようなものなのだ。人は過去の人生の記憶をできる限り鮮明に覚えておくほうがいい。そうすることが未来の設計に役立つ。

 帰幽した友が全知全能だと考える人は、こちら側の生活が地上の生活の延長に過ぎないと知れば、どれほど失望するだろうね! もしも思考と願望が単に物質的快楽のみに向けられていたのなら、ここでの思考と願望も同様のものとなる。私は本物の聖者たちにここで出会った。彼らは地上の生活を聖者の理想に従って生きようとした人たちであり、いまは自由にそうしている。

 ここの生活は自由だ! 地上で人々を奴隷にしている機械の歯車のような生活はまったくない。私たちの世界では、人は自分の考えにしか縛られない。思考が自由なら、彼も自由なのだ。

 しかし、私のように哲学的なことを考える霊は少ない。哲学者よりも聖者のほうが多い。彼らのもっとも高い理想は、真剣に活動するときには、哲学的な生き方よりも宗教的なものになるのだろう。

 こちら側でいちばん幸福な人は画家ではないかと思う。こちらの素材は本当に軽くて微細で、それゆえに簡単に扱えるびで、空想が容易に形になってしまう。ここには美しい絵がたくさんある。芸術家の幾人かは、地上の画家の心の目に自分の絵を印象付けようと試み、しばしば成功している。

 こちらの本物の芸術家にとって、君のいる世界の画家がアイデアを受け取り、表現してくれることはとてもうれしいことだ。地上の画家がどれくらい上手にアイデアを表現してくれるか、常に見ることはできないかもしれない。ひとつの素材からもうひとつの素材を透視するには、特別な才能か特別な訓練が必要なのだ。だが、インスピレーションを与えた霊は、受け手の心のなかの考えを察知し、自分の着想が地上で表現されつつあると察知できる。

 詩人の場合も同じだ。ここにはうっとりするような叙情詩があり、地上の感受性豊かな詩人の心に印象を刻んでいる。ある詩人は、短い叙情詩のほうが長時間の努力が必要な叙事詩や劇詩よりも容易にそうすることができると語った。

 音楽家の場合もまったく同じ。君が美しい音楽の演奏されているコンサートへ出かける時、周囲には音楽好きの霊たちが取り囲み、その調べに酔いしれている。地上の音楽は、こちらでもたいそう好まれている。音色が聴こえるのだ。だが、感受性の強い霊はへたな弦楽器の演奏には近づかない。私たちは弦楽器の音楽を好んでいる。地上の事柄のなかで、音がいちばんそのままの形でこちらの世界に届いてくる。音楽家たちに言ってあげなさい。

 彼らが私たちの音楽を聴くことができたなら! 私は地上にいるときは音楽を理解しなかったが、いま私の耳はそれに馴染んでいる。時々、私たちが君たちの音楽を聴くように、君たちも私たちの音楽を聴いているのではないかと思えてしまう。

 君は私がどこへ出かけて時間をつぶしているか不思議に思うだろうね。この国には、私が飽きることになく訪問する素敵な場所がある。それは私の町から遠くない山の中腹にある。丘を上ってゆく細い曲道があり、その少し上に、屋根のある囲いでできた小屋がある。小屋の下の方は側面が開いている。私は時々、ここに何時間もいて、道の脇を流れる小川のせせらぎに耳を傾けている。細くて高い木々は私の兄弟のように思える。当初、物質界の木々ははっきり見えなかった。だが、私はいい匂いのする新しく綺麗な板でできた小屋に入り、棚か寝台に寝そべり、目を閉じて努力すると――いや、それは努力ではなくて、漂うという感じだ――この美しい場所を見ることができるのだ。ただし、この時、そちら側は夜間であり、私は自分の発する光で見ているわけだ。私たちが24時間のうちの暗い時間帯に旅しているのは、明るい太陽のもとでは何一つ見えないからだ。太陽の強烈な光は私たちの光を消してしまうのだ。

 ある晩、ライオネル少年を連れ出し、この小屋のなかに残しておき、少し離れた場所に行ってみた。後ろを振り返ると、小屋全体が美しい輝きで光っていた――ライオネル自身の光だった。屋根の尖った小屋は、内側から照明された真珠のように見えた。美しい光景だった。

 それから私はライオネルに近づき、彼の番だから少し遠くへ行くように言い、私は小屋のなかに入った。そこにいる間、彼が同じ現象を目撃するか、私が濃い物質――建物の板壁を通して彼のような光を放つことができるかどうか知りたかった。後で彼を呼び、何か変わったものを見たかと聞いた。

「お父さん、あなたはなんて素敵な人でしょう! 小屋が燃えているように見えたけど、どうやったの?」
 これで彼も私と同じものを見たことがわかった。
 だが、もう疲れたのでこれ以上書けない。お休み、良い夢を。
 

「生きている死者からの手紙 22」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 3日(火)05時10分5秒
  「生きている死者からの手紙 22」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
https://www.youtube.com/watch?v=TkUHQtQVZFc&list=PLbPRSTyFexIqLs9eYPCF84D4nS62I20vU
Raku Raku Workout (らくらく毛管運動)

手紙16 見てはいけない(前半)

 死を前にした人に伝えたいことがある。死と呼ばれる変化を経た後は、自分の体のことはできるだけ早く忘れて欲しいのだ。

 ああ、私たちがかつては自分だと信じていた「あれ」(訳者注、死体)を地上に戻って見たがる好奇心とは! 我々は、ときにその思いに襲われ、自分の意志に反して、「あれ」に引き寄せられてゆく。ある者にとっては病的な強迫観念となり、多くの者にとっても、かつては頼りにしていた骨と肉の断片に過ぎぬ「あれ」から解放されることはないのだ。

 彼らに、「あれ」のことは全部忘れて、その思いを捨て去り、自由になってこちらの世界に来なさいと言いなさい。過去を省みるのは時には良いが、このような過去の遺物は別物だ。

 棺のなかを覗くのはたやすい、いま私たちがまとっている体は闇のなかでは光なのだから、粗い素材を通過してしまう。私も数回、「あれ」を訪ねたが、もう戻らないと決心した。それでも、「あれ」がどうなっているか知りたいという強い執着が再びよみがえるかもしれない。

 私は驚かせたくないし、痛みを与えたくもない――ただ警鐘を鳴らしたいだけだ。墓のなかで出会う光景は痛ましい。そのためだと思うのだ、ここに来たばかりの魂たちの多くが憂鬱そうにしているのは。彼らは訪ねてはいけない場所へと何度も何度も戻ってゆく。

 君が知る通り、ここでは私たちがある場所を強く思うと、そこにいるのだ。私たちの体はとても軽くて、何の努力もなしで考えた通りに動いてしまう。彼らにそうしないように言いなさい。

 ある日、並木道を歩いていた時に――ここには木々がある――すその長い黒服を着た背の高い女に会った。彼女は泣いていた――ここには涙もある。なぜ泣いているのですかと聞くと、言いようのない悲しみを目に浮かべ、私を振り向いて言った。
「わたし、『あれ』のところへ行ってみたのです」と彼女。

 私の心は傷んだ、彼女がどう感じたか知っていたからだ。最初の訪問のショックは何度も繰り返される、私たちが自分自身のものと考えたいと願う「あれ」がどんどん変化してゆくからだ。

 並木道を歩きながら泣いていた背の高い黒服の女のことはよく思い出す。人を「あれ」に引き寄せるものは好奇心であり、磁石のような力だ。だがそれは何の益もない。忘れてしまうほうがいい。

 私は時に、純粋に科学的関心から、ライオネル少年に自分の体のところへ戻ったかどうか聞きたくなる。だが、彼にその考えを吹き込むことを恐れて聞いていない。彼は飽くことのない好奇心を持っている。子供の頃にこちらに来た者は、私たちのような病的な本能を持たないのだろう。

 人生で、私たち自身だとみなしている形が、私たちの真の不滅の自己ではないと覚えていることができれば、肉体に必要なケアはするものの、過大なほど大切だとは思わないだろう。
 

「生きている死者からの手紙 21」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 2日(月)05時25分32秒
  「生きている死者からの手紙 21」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

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手紙15 古代ローマのトーガ(訳者注、古代ローマ市民の外出着)

 この国のおもしろいところは、因習にはとらわれていないことだ。同じ服装をしている者はふたりとしていない――厳密にというわけではないが、多くの人が風変わりな装いなので、全体として見れば多種多様な外見をしている。

 私自身の服装は、基本的には地上で着ていたものと同じなので、遥かな昔の前世のひとつの記憶をたどって当時の装いをする実験をしてみた。

 ここでは誰でも望むとおりの服を着ることができる。ここに来たときに、どうやって服を着たのかは分からない。だが、服のことに注意を向けると、ふだんの服を着ている私がいた。服をこちらに持ってきたのかどうか、まだ分からない。

 ここには古代の服装をした人がたくさんいる。このことから、彼らが昔からここにいたとは思わない。彼らは古代の服が好きだから着ているのだろう。

 一般的に、ほとんどの人は地上で住んでいた場所の近くに留まっている。だが、私は初めからあちこちを見て歩いた。ある国から次の国へと大急ぎで移動した。ある夜(君の場合は昼だが)、私はアメリカで休んだ。次の夜はパリで休んだかもしれない。何時間も君の居間の長椅子の上で眠ったのだが、君は私がいることに気づかなかった。私が目覚めている時に何時間も君の家に滞在したならば、君は私の存在を感じただろうと思う。

 ある日、私がここに来て間もない頃、ギリシャの服装をした女性を見たので、どこで手に入れましたかと聞いてみた。彼女は自分で作ったと答えた。どうやってですか? と聞くと、こう言った。
 「あら、まず心のなかでデザインをするのよ。するとそれが服になるの」
 「あなたが縫ったのですか?」
 「いいえ、地上にいた頃のようではなくてよ」

 近寄って服を見ると、全体がひとつの生地でできているように見え、両肩のところで宝石飾りのついたピンでとめてあった。どこで宝石飾りのついたピンを得たのかと聞くと、友人がくれたと彼女は言った。そこで、その友人はどこで求めたのですかと尋ねた。彼女は、自分は知らないので彼に聞いてあげると答えた。その後すぐに立ち去り、それ以来彼女には会っていないので、答えはもらえないままだ。

 私も何か作れるかどうか実験を始めた。その時、古代ローマのトーガが頭に浮んだが、当時の生活で古代ローマのトーガがどのようなものだったか、まるで記憶がなかった。

 師に会った時に、自分で作ったトーガを着たいと言ったところ、師は、望む服の作り方をていねいに教えてくれた。心のなかでデザインとシルエットをしっかり定め、それをまざまざとイメージし、願いを叶える力によって思考世界の微細な素材をそのデザインの周囲へと引き寄せ、実際の服を作るのだという。
 「それでは」と私は言った。「あなたの言う思考世界の素材は、例えば、私の体を作っている素材と同じですか?」
 「つまりは」師は答えた。「ふたつの世界にはただ一種類の素材しかないのです。大きな違いはバイブレーションと希薄さです」
 ところで、私たちの服の思考素材は、極めて希薄な素材である一方で、体は濃密であるように思えた。私たちは、透明な天使が湿った雲の上に座っているようには感じないのだ。空間を移動する素早さを考えなければ、時々、自分の体が昔のように濃密だと思えてしまう。

 私には君がよく見えるので、君も希薄なのだと思える。これは想像するに、環境に順応するという昔からの問題なのだ。当初、私はうまくできなかったので、特定の行動をするに必要な量のエネルギーを調整するのが難しかった。ここではほんのわずかのエネルギーで移動ができる。最初は短い距離――ほんの数ヤード――を移動しようとして気づくと1マイルも先に行ったことがある。しかしいまはかなり上手に順応できている。

 再び地球へ戻った時のかなり厳しい人生に備えるために、私はエネルギーを蓄えている。いまいちばん辛い仕事は、ここに来て君の手を通して書くことだが、君はどんどん抵抗しなくなっている。初めの頃は全力を費やさなければならなかったが、いまは比較的わずかな努力で済む。それでも、一度に長時間書くには君の活力が不可欠だが、それはやめておこう。

 気づいていると思うのだが、君は書いた後で、最初の頃のように疲れ切っていないはずだ。
 私は因習にとらわれないことについて語ったね。魂同士は、堅苦しい儀式抜きで挨拶し合っている。2、3人のお年寄りの女性は見知らぬ人と話すのを恐れているが、たぶん、彼らはここに来てまもなくて、地上のクセが身に染み付いているのだろう。
 しかしながら、こちらの社会があまりにも自由で勝手気ままと考えてはいけない。そうではないが、こちらの人々は地上にいた頃のように、互いを恐れていないように見えるのだ。
 

「生きている死者からの手紙 20」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 5月 1日(日)07時43分45秒
  「生きている死者からの手紙 20」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

健康長寿&安楽死を、正心調息法&らくらく毛管運動で実現しましょ。
https://www.youtube.com/watch?v=TkUHQtQVZFc&list=PLbPRSTyFexIqLs9eYPCF84D4nS62I20vU
Raku Raku Workout (らくらく毛管運動)



手紙14 パラケルススの本

 先日、この世界に滞在していた者の行った研究を収録した図書館が、もしあるなら見せて欲しいと師に聞いた。彼は言った。「あなたは地球にいた時はたいへんな読書家でしたね。来なさい」

 私たちは図書館そっくりの大きな建物に入り、私は息を飲むほどの驚いた。建物の建築様式に驚いたのではない、蔵書と記録文書の膨大な量にだ。数百万冊はあるに違いない。

 師に、すべての本があるのですかと聞くと、彼は微笑んで言った。
 まだ十分ではないですか? どれでも選んでいいですよ」
 本はテーマごとに並べられているのかと聞くと、
「配列方法があります」と答え、「何をお望みですか?」

 私は、他の人がこの世界について探求した記録を読みたいと言った。
 師は再び微笑み、棚から分厚い本を取り出した。それは大きな黒い活字で印刷されていた。
「誰がこれを書いたのですか?」と尋ねた。

「署名があります」と師は答えた。
 巻末を見ると、署名があった。パラケルススが使っていた署名だった。
 (訳者注、パラケルススは1493?ー1541年にスイスで生きた医師・錬金術師で、医化学の祖とされる)

「いつこれを書いたのですか?」
「ここに来てすぐでした。パラケルススとしての転生と、その次の地球での転生の間でした」

 本を開くと、霊、人間、天使、そして元素の霊についての論文だった。人間の霊の定義から始められていて、それは人間の姿で生きた経験を持つ霊だという。元素の霊も定義しており、それは多少なりとも自意識を発展させてきたが、まだ人間のような経験をもたない霊だという。

 それから著者は天使を高次元の霊だとし、これまでもこれからも、物質界の経験を持つことのない霊と定義していた。(訳者注:天使も悪魔も、地上には転生しない)

 次に天使の霊は、天界と地獄の二種類のグループに明確に分けられていると述べている。前者は神の法則に従い、調和をもたらすために活動しており、後者は調和を壊すために活動していると定義する。だが、天使と悪魔、ふたつのグループは、互いを、存在し続けるために必要としており、もしすべてが善になれば、宇宙は存在することをやめてしまう、善そのものが、それに対抗する悪の消滅によって、存在できなくなるという。

 彼は、天使の住む領域の書庫にはいくつかの事例が記録されており、善の天使が悪になり、あるいは悪の天使が善となる事例が極めてまれにあると述べている。

 それから彼は、この世界に滞在する仲間の魂に警告し、悪霊とは交流しないようにと述べている。彼は、微細な形の生活には地球の生活以上に誘惑が多いと断言する。彼自身がしばしば悪意のある天使たちから仲間に加わるようにと誘われ、その説得力はしばしば、大したものだったそうだ。

 彼は地上で生活していた時に、何度か善い霊や悪い霊と会話したことがあったが、彼の知るかぎりでは、地球にいた間に、悪魔と会話したことはないそうだ。

 彼は読者へ、微細な世界の人間が天使なのか、単なる人間なのか、あるいは元素の霊なのかを見分ける方法がひとつあると助言する、それは天使を包む光がより強く輝いているかどうかだと言う。善い天使も悪い天使も、ともに強く輝いているが、両者には違いがあり、顔を見ればひと目で見分けることができると言う。天界の天使たちの目は愛と知性で燃え上がっており、地獄の天使たちのば場合は、目を見ると途方もなく不快になるそうだ。

 彼は、地獄の天使が人間のふりをすることは可能であり、また、光の天使のふりをするかもしれないと述べる。だが、天使が本来の資質を隠し、微細な体で生きている魂を偽ることは事実上不可能だとも述べていた。(訳者注:霊界ではだませない、ということ)

 このテーマについては、別の夜に伝えたい。いまは休息しなければならない。
 

「生きている死者からの手紙 19」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月30日(土)07時07分23秒
  「生きている死者からの手紙 19」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


第13の手紙 実在する形、しない形

 はじめてここに来た時は、見ることに夢中で、見る方法については疑問を抱かなかった。しかし最近――最後の1、2通の手紙を書いてからだが――表面的には同じ物質のように見える、対象物の違いに気づき始めた。例えば、地上では疑いなく存在していたもの、男たちや女たちの容姿や、他のものでもそうだが、目に見えてはっきりしているのだが、それらが思考の産物であるならば、違いが分かるようになった。

 この考えは、天国を見ていた時に浮かび、パターンの世界を以前から、そして最近、なんども探検しているうちに強くなった。

 そのうちに、この二種類の似て非なるものを一瞥で見分けることができるようになるだろう。例えば、人間に会った時、あるいは人間と見えるものでもよいが、この人は有名な小説、例えばユーゴーの「レ・ミゼラブル」に出てくるジャン・バルジャンですよと教えられたとする。すると、私は、この希薄な素材でできた世界で、本人そっくりの、十分な活力を持った思考の産物を信じることになる。私はまだそんな人物には出会っていない。

 もちろん私が、思考が作った人間もどきのものと話さなければ、また、他者がそのような人と話すのを見るのでなければ、思考の産物が本当に存在していると言い張ることはできない。これからは、これについて実験してみたい。本物そのものに見える者に話しかけ、相手が答えることができれば、本物と考えてよい。空想の産物、あるいは思考が作り出したものなら、絵のように活き活きとしていても、魂はなく、力のまとまりもなく、自己を持ってはいない。単に絵のようなものだ。誰と出会っても、この方法で見分けるつもりだ。

 もしも独特の形をした木や動物を見て、それに触れ、感じることができれば――ここでの感覚は地球同様に鋭いのだ――この世界の微細な素材のなかで、それらが存在していると納得できる。

 私がここで会った人間はすべて実在している。だが、手を触れても感じることができず、私の問いにも答えられない人間を見つけることもできるだろう。そうなれば、人間同様に思考の産物の人間も、本物と思えるほどの凝縮力を持っているという私の仮説にデータが加わる。

 隠れているにせよ、顕れているにせよ、実体のない霊は存在せず、霊のない実体も存在しないことは疑う余地のない事実だ。人間を描いた絵は、遠くから見れば本当の人間に見える。

 熟慮された思考の産物(訳者注:人間そっくりの存在)が存在するのだろうか、意図的に作られたものが? 私はそう思う。そのような思考の産物は、存在し続けるために極度に緊張しているだろう。
 私はこのテーマには満足したので、次の機会が来るまではこれくらいにしておこう。
 

「生きている死者からの手紙 19」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月29日(金)05時09分2秒
  「生きている死者からの手紙 19」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


第13の手紙 実在する形、しない形

 はじめてここに来た時は、見ることに夢中で、見る方法については疑問を抱かなかった。しかし最近――最後の1、2通の手紙を書いてからだが――表面的には同じ物質のように見える、対象物の違いに気づき始めた。例えば、地上では疑いなく存在していたもの、男たちや女たちの容姿や、他のものでもそうだが、目に見えてはっきりしているのだが、それらが思考の産物であるならば、違いが分かるようになった。
 この考えは、天国を見ていた時に浮かび、パターンの世界を以前から、そして最近、なんども探検しているうちに強くなった。
 そのうちに、この二種類の似て非なるものを一瞥で見分けることができるようになるだろう。例えば、人間に会った時、あるいは人間と見えるものでもよいが、この人は有名な小説、例えばユーゴーの「レ・ミゼラブル」に出てくるジャン・バルジャンですよと教えられたとする。すると、私は、この希薄な素材でできた世界で、本人そっくりの、十分な活力を持った思考の産物を信じることになる。私はまだそんな人物には出会っていない。
 もちろん私が、思考が作った人間もどきのものと話さなければ、また、他者がそのような人と話すのを見るのでなければ、思考の産物が本当に存在していると言い張ることはできない。これからは、これについて実験してみたい。本物そのものに見える者に話しかけ、相手が答えることができれば、本物と考えてよい。空想の産物、あるいは思考が作り出したものなら、絵のように活き活きとしていても、魂はなく、力のまとまりもなく、自己を持ってはいない。単に絵のようなものだ。誰と出会っても、この方法で見分けるつもりだ。
 もしも独特の形をした木や動物を見て、それに触れ、感じることができれば――ここでの感覚は地球同様に鋭いのだ――この世界の微細な素材のなかで、それらが存在していると納得できる。
 私がここで会った人間はすべて実在している。だが、手を触れても感じることができず、私の問いにも答えられない人間を見つけることもできるだろう。そうなれば、人間同様に思考の産物の人間も、本物と思えるほどの凝縮力を持っているという私の仮説にデータが加わる。
 隠れているにせよ、顕れているにせよ、実体のない霊は存在せず、霊のない実体も存在しないことは疑う余地のない事実だ。人間を描いた絵は、遠くから見れば本当の人間に見える。
 熟慮された思考の産物(訳者注:人間そっくりの存在)が存在するのだろうか、意図的に作られたものが? 私はそう思う。そのような思考の産物は、存在し続けるために極度に緊張しているだろう。
 私はこのテーマには満足したので、次の機会が来るまではこれくらいにしておこう。


 

「生きている死者からの手紙 18」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月28日(木)05時10分39秒
  「生きている死者からの手紙 18」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第12の手紙 パターンの世界

 先日、ここには地上に存在しないものはなにもないと言ったが、それを訂正したい。あの見解は正確ではなかった。ここにはいくつかの層がある。最近知ったのだ。地球にいちばん近い層にあるほぼすべてのものは、地球の濃密な素材のなかで、かつて存在したものだ。そこから少し上昇する、少し離れると――正確にどれくらい遠くかは言えないが――この間の夜の調査の時だが、パターンの世界に足を踏み入れた。例えて言えば、地球でこれから出現してくるものの模型の世界だ。私は数々の形を見たが、私の知る限り、地球には存在していない――発明などだった。人が身に付ける羽を見た。新しい飛行機のいくつかの形も見た。模型の都市には奇妙な羽のような張り出しがあったが、それがどう使われるのか理解できなかった。機械の発明の進歩は明らかに始まったばかりなのだ。
 別の機会には、パターンの形の世界をさらに上昇し、その先に何があるのかを学びたいと思っている。
 次のことを心にとめておいて欲しい。私は地上の旅人がそうするように、見たものをただ物語っているにすぎない。私の解釈は時々間違っているかもしれない。
 私たちがパターンの世界と呼ぶ場所にいた時は誰もいなかった――ごくまれに私のような観察者がいただけだ。このことから、地上を離れた人たちのうちでごく少数しかここを訪ねないのだと推察した。見聞したことと、出会った男や女の魂たちとの会話から、ここでは、ほとんどの人が地球から遠くは離れないと思っている。
 奇妙だが、多くの人が昔ながらの天国にいて、白い布を身にまとい、花の冠をかむり、腕にハープを抱いて歌っている。外部の者が「天の国」と呼ぶそんな領域がある。
 師から教わったところでは、少なくとも硫黄の臭いのする業火の地獄もあるそうだ。だが私はまだ訪ねていない。いつか、自分が強くなったと感じた時に覗いてみたい。そしてあまり気分が滅入らなければさらに足を進めてみたい――だだし、彼らがそうさせてくれたらの話だ。
 ここしばらくはあちこちを見歩いているだけで、特定の場所を注意深く研究しているわけではない。
 ライオネルという名前の少年を昨日連れ出した。昨夜と私たちは言うが、大きく空虚な天球のなかの、君たちの地球に私たちがいる時、君たちの昼間は私たちには夜なのだ。
 私は君が散策と呼ぶものに少年を連れて行った。
 最初に訪ねたのはパリの古い一角で、私が前世で住んでいたところだ。だが、ライオネルには何も見えなくて、ある建物を指差しても、彼は真顔で私が夢を見ているんじゃないかと言うのだ。私には、このアストラル界(訳者注、霊界)の仲間の市民たちに備わっていない特別な能力があるのだろう。少年が、パリは私の空想のつくり話だというので――少年はボストンに住んでいた――天国へ連れて行った。彼の意見はこうだ。
 「ねぇ、ここはおばあちゃんが僕によく話してくれた場所に違いないよ。でも、神様はどこにいるの?」
 答えることができなかった。だが、もう一度見ると、ほとんどすべての人々がある方角を凝視しているのが見えた。私たちも彼らと同じ方角を見ると、強い光が見えた。太陽のようでいて、物質界の太陽よりはやさしく、まばゆくはなかった。
 「あれが」と少年に言った、「神を見た人が見たというものだよ」
 それに、不思議なことを言うようだが、私たちがその光を見ていると、私たちと光の間に徐々にだが、私たちがキリストだと見知っている姿が出現したのだ。彼は人々に微笑み、手を差し伸ばした。
 それから情景が一変し、「彼」は「彼の」左手に子羊を抱いていた。そしてもう一度、「彼」は山の上に立つ姿に変貌した。それから「彼」は話し、教えを説いた。私たちは「彼の」声を聴くことができた。そして「彼」は視界から消え去った。


 

「生きている死者からの手紙 17」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月27日(水)05時11分32秒
  「生きている死者からの手紙 17」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第11の手紙 ライオネル少年(2)


 少年のことを話していたね。彼は私が話してあげた地上の事柄で、あることに熱中している――とくに飛行機で、彼が地上にいた頃はまだ実用的とは言えなかったからだ。彼は地上に戻り、飛行機を飛ばしたいと願っている。私は彼に、飛行機がなくても飛べるじゃないかと言ったが、彼は両者はまったくの別物だと考えている。機械に手を触れたいのだ。
 私は急いで戻る必要はないとアドバイスした。興味深いことに、彼は他の人生や、ひとつ前の地上の人生を記憶している。ここにいる多くの人は、最後の人生以前の数々の人生についてはまったく覚えていない。ここでは、すべての人がすべてを覚えているわけではない――そんなことはまったくない。大半の魂は、地上の人生でもそうであったごとく、ものがよく見えないのだ。
 少年は前世では発明家であり、事故が原因でここに来たと言った。彼はもう少し長くここにいて、帰還するためにより強いリズムを得るつもりだろう。これは私の想像だ。私が少年に深い関心を抱いていて一緒にいるために、そう思えるのだろう。
 分かるだろう、私たちはまだ人間なのだ。
 質問があるそうだね? 大きな声で話してくれないか? 私には聞き取れる。
 そう、私は長い間感じていた状態よりも相当若返った、そして健康だ。当初は病気だった時のような感じで、何度も憂鬱に襲われ、また何度もうつから解放されることを体験した。だがいま、私にはまったく問題がない。困っていた体のトラブルもなくなった。
 老いた人はここでは若返ってゆき、盛りを迎え、それからはその状態を長く続ける。
 とはいえ、私は全能になったわけではない。忘れていた知識をかなり取り戻しただけなのだ。それでも、こちらの生活の細部について学ぶことがたくさんある。
 君の好奇心が、こちらの状態を学び、探求することを助けてくれている。そうでなければ、長い時間かかっただろう。ほとんどの人はここではあまり学ぼうとしない。地上での生活同様、最良かつ最もやさしい生き方については自然に学んではいるが――。
 そうだ、ここには学校があって、教育を受けたい者はそうできる――ただし適性があればだが。それに偉大な教師はほんのわずかしかいない。ふつうの大学教授に至高の叡智が備わっていないということは、ここでも、君の世界でも同じなのだ。


 

「生きている死者からの手紙 16」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月26日(火)05時07分32秒
  「生きている死者からの手紙 16」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第11の手紙 ライオネル少年

 地上と同じようにこちら側でも、献身的に他の人の世話をする人たちがいると言ったら、君は興味津々だろうね。
 自分たちを「連盟」(リーグ)と呼ぶ、魂たちのかなり大きな組織がある。彼らがとくに心を砕いているのがこちらに来たばかりの人を助け、自分を取り戻させ、新しい環境になじませることだ。連盟には男も女もいる。彼らは素晴らしい活動を行なっている。彼らはほんのわずかに――救世軍より高いレベルとは言わないが、むしろ知的な次元で働いている。子供や大人をサポートしている。
 子供はおもしろい。これまでこうした事柄を自分で観察する時間がなかったのだが、「連盟」で働く人が教えてくれたのは、成人した大人よりも子供たちのほうが、環境の変化に適用しやすいということだ。かなり老いた人たちは、長い間眠る傾向があるが、子供たちはエネルギーをいっぱい持って、また地上にいたときの好奇心をもったままこちらに来ている。激しく変化しないわけだ。幼い者は、地上と同じで徐々に、そして気づかないうちに成長すると、こちらでも言われている。ふつうのケースはリズムを完了することであり、なかにはわずかな休息で早く地上に戻ってゆく魂もいる。好奇心が強く願望も大きい魂の場合だ。
 ここには恐怖もある――地上のそれとは比べ物にならない恐怖だ。悪徳や酒に溺れたことが原因でこちらに来た者は、そちらの世界よりもさらに悪い。私は彼らの顔や姿を見て恐怖を覚えたが、その顔は半分朽ちかけており、バラバラになりかけていた。彼らは希望のないケースであり、私が話した「連盟」の人々すら関与せずに、運命の手に委ねている。彼らの運命がどうなるかは分からない。彼らが、このサイクルのうちに転生することがあるか、ないか、分からないのだ。
 子供たちはとてもチャーミングだ! ひとりの少年が私といつも一緒にいる。私をお父さんと呼び、一緒にいることを楽しんでいるようだ。想像するに、彼は多分13歳で、こちらに来てしばらく経っている。どれくらい長くいるのか、分からない。しかし、彼がその年の、西暦を覚えているのなら、こちらに来た年を聞いてみるつもりだ。
 ここでは考えていることを知られないで済むかといえば、そうではない。用心すればいいのだ。方法さえ知っていれば、秘密は守れる。示唆することで、あるいは呪文をかけることでそれができる。それでもここでは人の心を読むことが、地上より簡単にできてしまう。
 私たちの会話は、君たちのやり方と同じだ。だが、時間が経つにつれて、私は、唇を動かすよりも、強力に投射する思考によって会話するようになってきた。最初、何か言う時はいつも口を開けていたが、いまはそうしない。それでも時々はクセで口を開けているのだが。最近こちらに来た男は、相手が実際にしゃべらなければまったく理解できなかった。つまり、私が思うに、息を吐かないでも話すことができると彼が学習する以前のことだ。


 

「生きている死者からの手紙 15」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月25日(月)05時04分23秒
  「生きている死者からの手紙 15」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第10の手紙 4次元でのランデブー

 君が親切にもしばしば私に手を貸してくれているので、なぜ尻込みするのか分からない。
 この哲学は、世界に、そして世界中へ教え続けられるだろう。今生において深淵まで到達できる者はたぶん少ないが、今日蒔かれた種が実を結ぶのはずいぶん先のことだ。どこかで、2000年、あるいは3000年前にミイラとともに埋葬された小麦の粒が、私たちの時代に良い土壌に蒔かれて芽を出したと読んだことがある。哲学の種もそういうものだ。
 哲学を実践するためではなく、哲学そのもののために働く者は愚かだと言われてきた。しかし人がわずかの真実の哲学を世に伝えるには、その7倍を自分で収穫しなければならないし、君は次の言葉でむすばれる聖書の引用を知っているだろう、「後の世にて永遠の命を」。得るためには、与えねばならない。それが「法則」なのだ。
 君に伝えるこちらの生活の多くの事柄は、人々が死という大きな変化に直面する時に役に立つだろう。ほとんどの人が記憶を持ち越してくる。私が出会った男や女は、多少なりとも、地上の生活の鮮明な記憶を持っている。大半の者がそうだ。
 地上の話題を拒絶する男と会ったが、いつも「前に進む」ことばかり語っていた。私は彼に、あまり遠くに行けば出発した場所が分からなくなる、と注意した。
 私たちが何を食べ、何を飲むか、興味があるだろうね。確かに栄養を与えられてはいるし、水をたくさん摂っている。君も水をたくさん飲むと良い。水はアストラル体を支えてくれる。君がいまやっているように、こちらの世界の魂に手を貸すに十分なアストラル体の活力は、乾ききった体には期待できないと思うのだ。こちらにいる私たちの体には湿り気がたっぷりある。いわゆる霊との交流が時々、血の通う人たちに寒気を感じさせ、震えさせたりする理由のひとつはこのためだ。
 この方法で手紙を書くことは労力を伴うが、そうする価値があると私は思っている。
 私が訪ねるのは、君を感じる場所だ。私には、ほかの者よりも君がよく見える。それから、私は向きを反対にする、ふだんしているように内に向かう代わりに、強い力で君の方向へと出てゆくのだ。そして前進し、懸命の努力で君をつかまえる。
 時々、手紙が文章の途中で中断することがあるね。私がうまく集中できていないときだ。君にも経験があるだろう、外的世界に背を向けて遮断している時に、突然の騒ぎや、あるいは雑念が生じて瞬時に元へと戻ってしまう。ここでも同じだ。
 では私たちが生きている場所の構成要素について教えよう。間違いなくここは空間に場を占めていて、地球上に広がっている。そうだ、すべての目に見える樹木には、見えないがそれに対応する樹木が存在する。眠る前に君が意識を持ってこちらの世界に出てくれば、存在するもの、それに物質世界にかつて存在したものですら見ることができる。こちらの世界で目にするもののすべてに、物質の世界で対抗するものが存在している。もちろん、思考による絵とか、想像でできた絵というものもあるわけだが、想像で見ることは、アストラル界で見ることと同じではない。絶対にそうではない。眠りにつく前に見ているものは現実に存在しているし、君はバイブレーションを変化させればこちらの世界に出て来れる、いやむしろ帰って来る、帰るためにはまず出かけなければならない。
 想像には偉大な力がある。心に思い描けば、そして健康か病気かを考える時のように意志をその方向へと向ければ、体のバイブレーションがそれへと調整されるのだ。
 こちらへ出てくる時に、あるシンボルを選び、目の前に置いて実験してみるといい。バイブレーションを変化させる助けになるとは言わないが、そうなる可能性はある。
 君が私に会いにくるときに、眠る前の、いま心にある思考や願望を持ったまま出てきたらと私は考えてしまう。
 今日、私は強い。長時間、私より強い人と一緒だったからだ。だからもし今夜君が私に会う実験をするつもりなら、他の時より君をサポートしてあげられる。
 語りたいことは多いが、しょっちゅう君には会えない。君の状況が違っていて、他の事柄から自由であれば、もっと訪ねて来れるだろう。私は多くを学んでいて、君に知識を与えたいのだ。
 たとえば、師がいつも行なっているように、意志の力を使ってこちらに来る方法を教えてあげられる。
 当初、私は君の腕をとって手紙を書いたが、いまは心霊組織の力も使えるようになった。私は最善の方法で働いていなかったし、どこかにロスもあったので、この問題について師に質問した。新しい方法によって、君は今後さほど疲れないだろうし、私も疲れないと思う。
 私は行かなければならないが、数分で戻ってくる。実験が失敗しても失望しないでほしい。別の機会に挑戦してほしい。君が私を見ることができたら、私のことがよくわかるはずだ。
 

「生きている死者からの手紙 14」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月24日(日)07時06分45秒
  「生きている死者からの手紙 14」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第9の手紙 魂が行き来する場所

 友よ、死には何一つ恐れることはない。外国へ旅行するよりもずっと容易なのだ――はじめての旅――年老いて世界の片隅に落ち着いた人がする旅のようなものだ。
 こちらに来て出会う見知らぬ人々は、はじめて出かけた外国で出会う異邦人と何ら変わらない。いつも相手の言うことがわかるとは限らない。その点でも、彼の体験は外国での滞在と似ている。そしてしばらくすると、目に笑いを浮かべて友好的に近づこうとする。質問は、「あなたはどちらから来られましたか?」であり、地上と同じ反応が相手から返ってくる。カリフォルニアから来た人、ボストンから来た人、もう一人はロンドンだ。私たちはこうして旅の大通りで出会っている。なぜなら、こちら側にも、地上同様に旅の道がいくつもあって魂たちが行き来しているからだ。こちらの道は一般的にはふたつの大きなセンターを直接結んでいるが、鉄道の線路とは重なっていない。もしそうなら、騒音がおびただしい。私たちは地上で生じた音を聞くことができる。音のバイブレーションが霊界の耳に届くと、ある種のショックが伝わってくるのだ。
 時には、長期間にわたって同じ場所に住む者がいる。私はメイン州の古びた家を訪ねてみたが、そこではこちら側での活動を、想像できないくらい長い間やめている男がいた。彼が言うには、子供たちが成人の男女に成長し、可愛がっていた子馬も大人になってとっくの昔に老衰で死んだそうだ。
 ここには怠け者や頭の鈍い者もいて、地上と同じだ。そしてまた、キラキラ輝き、人を引き付ける磁力を持つ人もいるので、一緒にいるだけで活力をもらえる。
 私たちが君たち同様、服を着ていると伝えるのはばかばかしいことだが、そんなに多くの服は必要ない。私は旅行カバンをまったく見ていない。ただし、私はここに来て間がないが。
 暑さ寒さは、いまの私にはさほど問題にはならないが、当初は寒さを感じて不快だったという記憶がある。だがそれも過去のことだ。


 

「生きている死者からの手紙 14」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月23日(土)06時32分58秒
  「生きている死者からの手紙 14」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


第8の手紙 物質の強い支配力

「見えない」世界の人間には、突然、地上の記憶が蘇ることがある。
「ああっ」と彼は言う。世間は私なしでやっている。私は何を失ったのか?
 自分抜きで世の中がやってゆけることは許しがたいことなのだ。彼は苛立つ。自分が時代遅れになり、置いてゆかれ、置き去りにされると分かっている。
 周囲を見渡せば、4次元の静かな空間が見えるのみ。ああ、もう一度、物質の強い支配力がほしい! 何かを手にしっかり握ってみたい。
 そんな気分は薄れてゆくが、ある日、一層の激しさで戻ってくる。彼はこの希薄な環境から抜け出し、抗しがたい抵抗のある濃密な世界へと戻ってゆかねばならない。彼が以前にそうしたことがなかったのなら、それは無茶な冒険だろう。
 彼は目を閉じ、見えない世界で逆向きになる。人間の世界へ、強力な波動をまとった人間へと引き寄せられてゆく。そこには共感がある――多分、いま付き合っているのは、過去に知り合った魂たちとの経験からくる共感であり、同じ気分や空想が共感を呼ぶからだろう。それがなんであれ、彼は自由を手放し、大喜びで人間の人生へと身を沈めてゆく。
 目覚めてしばらくすると、緑の野原や、丸くてしっかりした男や女の顔を見て当惑するのだ。時には泣き、帰りたいと願う。もしも失望すれば、帰ることもあるだろう――そうなっても、また、物質世界へ戻るという弱々しい探求を再開するだけなのだが。
 彼が強くて頑固であれば、地上に残り、大人に成長する。希薄な材料でできた前の人生は夢だったと自分を納得させるかもしれないが、実際、夢ではそこに帰っているのだから、夢は彼につきまとい、物質から得られる喜びを損なってしまう。
 長い年月が経ち、彼は物質的な争いに疲れ果てて、エネルギーが枯渇する。彼は再び見えない腕に身を任せることとなり、人々はまたも息をひそめて、彼が死んだと言うのだ。
 しかし彼は死んではいない。そこから来た元の世界へ帰っただけなのだ。

 

「生きている死者からの手紙 13」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月22日(金)05時07分47秒
  「生きている死者からの手紙 13」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第7の手紙 カーテンの後ろの光

 時々、私の目から君を隠してしまう、濃密な素材でできたカーテンに隙間を開けて欲しい。私の目には君がキラキラ輝く光の点のように見えるが、それは君の魂が感情的であったり、あるいは心が何かに捕らわれているからだろうね。
 稀にだが、君が考えていることがわかるが、いつもそうできるわけではない。君に近づこうとしていても、君が見つからないこともある。君も、こちらに来たなら、いつでも私を見つけることができるとは限らない。私は一人でいることもあるし、他の人といることもある。
 おかしいだろうか? 私は、自分ががっしりした体を持っているように思える。当初、私の腕や足はあらゆる方向へ広がっているように思えたのだが――。
 ここでは私は以前のように歩き回りはしないし、羽を持っていないので飛ぶこともない。だが、驚異的なスピードで空間を飛び越えることができる。それでも、歩くこともある。
 ところで、君に頼みがある。私がしていた仕事がいかに大変だったか分かっていると思うのだが、私はいまの仕事もなんとかこなしている。
 君にも、落ち込んで欲しくないのだ。必要なものはすべてあると思い、まっすぐ前に進んで欲しいし、実際にすべて用意されている。
 君は何らかの方法でそれを世の中に公開できる。気弱になったり、ためらったりしてはいけない。そうなると私の同情心が働いて、私が地上に引き寄せられてしまう。そんなことをするのは、死者のために嘆き悲しむのと同じことだ。



 

「生きている死者からの手紙 12」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月21日(木)07時26分0秒
  「生きている死者からの手紙 12」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第6の手紙 意志という魔法の杖

 君は意志というものの秘密についてまだ理解していないね。意志は、君の力で使えるものだ。そして、君が選んだものすべてを実現させる。なぜなら、すべては人間の意志の力で動いているか、動く可能性があるからだ。
 画家と音楽家の違い、詩人と小説家の違いは、彼らがもつ資質の違いではない。なぜならすべての人は、その大きさはともあれ、すべての資質をもっているからであり、意志が選んだ、どんな方向へも自分を成長させてゆく可能性を秘めているからだ。その選択は遠い昔になされたかもしれない。他のすべてに優先する大きな仕事に携わるための技術や才能を進化させるには、長い時間を、時には何度もの転生を必要とする。集中力こそが力の秘密であり、それは地上でもここでも同じだ。
 日常のさまざまな事柄に意志の力を使うには、ふたつの方法がある。ひとつは特定の計画に集中して効果を上げるというもので、この場合は使える力の量を考えに入れない。もうひとつは、自分や他者の潜在意識の力を利用し、可能性のある、最良かつ最高、そしてもっとも賢い計画へと導かれるように望むことだ。ふたつ目の方法は、特定の目的のために環境を動かす、あるいは動かそうとすることであり、一部分を動かすどころか、その全体すべてを動かすことなのだ。
 外的な世界(現世)と内的な世界(霊界)は交わっていて、外の世界にいる君たちは、内にいる私たちが全知であるかのように考えがちだ。占い師のように予言を期待し、地球のこちらの世界で何が起きているのか教えてほしいと期待する。我々は時には予言ができるが、たいていは無理なのだ。
 しばらくしたら、私の師(マスター)のように君の心のなかに入ってゆき、君が前世で考えていた計画を知ることができるかもしれない。だが、いつもできるわけではない。
 たとえば、ある夜――氏を探したのだが、見つからなかった。たぶん、君が、私と彼のことを強く想ってくれればもっと容易になると思うのだ。
 私は常に学んでいる。そして師は熱心に私を指導してくれる。
 私が君の手をしっかりつかむことができたなら、こちらの生活についてたくさんのことを教えよう。
 

「生きている死者からの手紙 11」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月20日(水)05時07分46秒
  「生きている死者からの手紙 11」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第5の手紙 語られたことのない事柄についての約束

 しばらくしたら、私がここで得た知識について話してあげよう。私には過去が、開いた窓から覗くように見えている。私が来た道が見え、これから進もうとする道の地図も見えている。
 いまはすべてが容易に思える。いまの2倍も働くことができるだろう――とても強くなったと感じているのだ。
 まだ、どこか特定の場所に落ち着いてはおらず、私は空想するままに動き回っている。これは肉体を持っていた時にそうしたいと夢見ていたことで、決して実現できなかったことだ。
 死を恐れてはいけない。しかしできる限り地上にとどまるほうがいい。こちら側にいる仲間との絆があるにせよ、私はしばしば、もっと長く地上にとどまることに失敗したと悔いている。しかしここでは後悔は、私たちの体同様、さほど重くはない。
 私に関しては何の問題もない。
 君には明かされたことのない事柄を語るつもりだ。

 

「生きている死者からの手紙 10」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月19日(火)05時06分49秒
  「生きている死者からの手紙 10」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第4の手紙 鏡の上の雲
(文章が半分書かれたところで突然中断し、後に再開された)

 私の要請に応じる時は、子供が教師から与えられる金言や例題を書き写すために石版をぬぐうように、君の心を空っぽにして欲しい。君のごくわずかの個人的な考えや空想ですら、鏡を曇らせて映像をぼかす雲になりかねない。
 君の心が勝手に動いて、書いている間に質問しない限り、君はこの方法で手紙を受け取ることができる。
 今回は以前のように、周囲の者たちによって邪魔されたわけではない。風変わりな文章の結末への君の好奇心がそうしたのだ。君が受け身である代わりに突然積極的になり、電信局の受信機が勝手に自分自身のメッセージを送るような状態になってしまった。
 私はここで、当惑するような多くの心霊的な事柄を学んだ。そして可能なら、君をこの仕事で生じる逆流から護ろうと決意している。
 この間の夜、私が訪問した時に君は受け入れてくれなかった。親切ではなかったね?
 だが君を非難しているのではない。この仕事が終わるまで、何度でも何度でもやって来るつもりだ。
 そのうちに君の夢のなかへゆき、いろいろなものを見せてあげよう。



 

「生きている死者からの手紙 9」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月18日(月)05時19分19秒
  「生きている死者からの手紙 9」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第3の手紙 扉を護ること

 君は、私の周囲でひしめく者たちから自分を護るためにしっかり用心しなければいけない。
 夜と朝に、自分自身に呪文をかけるだけでいい。何者もその壁を通り抜けることはない――君が自分の魂に会うのを禁じた何者も、だ。
 アストラル界のどんな悪霊たちにも、ほんのわずかのエネルギーすら吸わせてはいけない。いや、彼らが私を困らせることはない。なぜなら、私はもう彼らの考えることに慣れっこだ。君がしっかり自分を護れば、恐れる必要はまったくない。

 

「生きている死者からの手紙 8」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月17日(日)06時44分58秒
  「生きている死者からの手紙 8」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第2の手紙 誰にも話してはいけない

 私は君の真正面の、現実の空間にいる。君の目の前にいて、長椅子かソファーベッドらしきものに腰を下ろしている。
 暗くなってからのほうが、来るのが容易だ。
 こちらの世界に来る時に、君なら手を通して私に話をさせてくれそうだと思った。
 私はもう強くなった。恐れるものは何もない――このような状況の変化ですら。
 私がどれくらい長く間沈黙していたかを伝えることはできない。あまり長くはなかったと思う。
「X」と署名したのは私だ。師の手助けで君と連絡することができた。
 しばらくは誰にも、私が来たことを話してはいけない、――さん以外には。いつ何時、どこであっても、私の訪問の邪魔をしてもらいたくないのだ。君の手を時々貸して欲しい。悪用はしない。
 私は、力をつけて戻って来るまでは向こう側にいるつもりだ。私を探して欲しいが、いまはその時ではない。
 私にとって、物事は長い間想像していたよりもずっと易しく思える。私の体は軽くなった。もっと長く肉体にとどまっていることもできたが、そうする甲斐はなかった。
 私は師と出会った。彼はそばにいる。彼は私にやさしくしてくれる。だがもう行かねばならない。おやすみ。

 

「生きている死者からの手紙 7」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月16日(土)06時46分53秒
  「生きている死者からの手紙 7」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳




第1の手紙 帰還

 私はここにいる、間違いない。
 以前君に話しかけたのは私だったし、いま再び話かけている。
 私は素晴らしい体験をした。忘れていたことの多くをいま、思い出している。起きたことは最良のことであり、そして必然だった。
 私には君が見えるが、まだ鮮明ではない。
 私は闇をほとんど見なかった。ここの光は素晴らしい。南国の太陽よりもずっと素晴らしい。
 いや、パリの周辺はまだよく見えないのだ。すべては変わってしまった。この瞬間、私が君を見ることができるのは、君の活力のおかげだろうね。


 

「生きている死者からの手紙 6」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月15日(金)05時16分45秒
  「生きている死者からの手紙 6」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳



序文(5)



 もしも誰かが、私自身、手紙は見えない世界からの真実のものと思うかと聞くのなら、私はそう思うと答えたい。私が知るはずのない個人的で、かつ注意深く触れられた部分や言及については、真実であると分かっている。心理学者たちの好きなテレパシーの可能性は残っている。しかし、もし手紙が私にテレパシーで届けられたのなら、誰がそうしたというのだろう? 多くの手紙を書いているときに一緒にいた私の友人ではない。なぜなら手紙の内容が私同様、彼女にとっても驚きだったからだ。
 しかしながら、この本が科学的だと言うつもりはない。科学は実験と証明を求めるからだ。彼が死んだことを知らず、ま「X」氏が誰かも知らなかった状態の時に「X」氏と署名された最初の手紙を除けば、この本は、心理学者の言う「実験と再現という条件」を満たしてない。肉体の死の後に魂が存続するという証拠になるかと言うと、それは読者個人の性格や体験、そして内容が真実であるかについての内なる確信によって、受け入れられたり、拒否されたりするだろう。
「X」氏がいなくなれば、あるいは宇宙の見えない世界の誰かで、彼同様に信頼できる実体がいなければ、私がこの種の記録を書くことはもうないだろう。無分別な霊媒という存在について、私はまだ強くぬぐいがたい偏見を持っており、妄想と欺瞞という危険がともなうことを理解している。しかし「X」氏とパリの友人への信頼がなければこの本は生まれなかった。また、見えない世界の著者や目に見える霊媒、どちらについても疑いを持てば両者ともに機能を麻痺させることになり、この手紙は生まれなかった。
 手紙が私個人に及ぼした影響とは、私がこれまで抱いていた死への恐れを完全に払拭してくれたことであり、また不死の信念を強めてくれ、死後の世界が太陽のもとのこの世界同様に現実的で活気に満ちたものと信じさせてくれたことだった。もし手紙が、私にしてくれたように、ほかの人にも高揚した不死の感覚を感じさせるのなら、私は苦労が報われたと感じるだろう。
 なぜこんな本を出したのかと私を責める人には、私は常に世の中に最善のものを提供しようと努力してきたし、手紙は私の最良の作品のひとつだと伝えたい。

 

「生きている死者からの手紙 5」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月14日(木)05時10分29秒
  「生きている死者からの手紙 5」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

序文(4)


 私は自分自身に問いかけてみた。もしも私が、手紙を個人的な序文なしに出版するのなら、フィクションか想像の産物と見なされるだろう、そして手紙に込められた素晴らしいメッセージは力を失い、読者に死後の生を信じさせることはできないと思った。またもしも、序文で、手紙は私の目の前で自動書記と思われる形で書かれたと説明すれば、当然のことながら誰の手で書かれたのかという疑問が生じ、私は言い逃れを考えなければなくなる。だが、もしも正直に、手紙は私自身の手で書かれたと認め、事実を正確に述べれば、たったふたつの仮説しか残らない。ひとつは、手紙は肉体を離れた実体からの真実のコミュニケーションだというものであり、もうひとつは、私自身の潜在意識の労作だということ。後者の仮説は、友人が死んだことを知る前に届いた、「X」と署名された最初の手紙を説明することにはならない。なぜなら人々の潜在意識下の心はすべてを知っていると推察しなければならないからだ。その場合、なぜ私の潜在意識下の心が、私自身やほかの人の客観的な心を無視して、長くて苦労の多い偽りを自分自身に課したというのだろうか?
 誰かが、手の込んだ詐欺を働き、かくも重大な問題を弄んだと私を非難することは、当時もいまもなされそうにない。私の想像力は、このような方法以外に、詩や小説といった正当な表現手段を持っていたからだ。
 この疑問が片付いた時には、手紙の3分の2を書き終えており、もしも出版するなら、手紙を受け取った正確な状況を述べた正直な序文を付ける決心をしていた。
 実際の執筆には11か月以上かかった。すると、編集をどうするかという問題が出てきた。何を削除すべきか? 何を含めるべきか? 私は、「X」氏、私、彼の友人たちの個人的な事情への言及を除くすべてを残すことにした。私が付け加えたことは何もない。たまに「X」氏の書き方は粗雑だったので、私はセンテンスを直し、反復を削ったが、編集者としての私が通常の原稿を渡されて校正する時に行うよりは遥かに原文に忠実であろうと心がけた。
「X」氏は、時には非常にくだけた調子で、時には法律用語やアメリカのスラングを使った。彼は親友同士の手紙のように、しばしばひとつのテーマから別なテーマへと飛び、何のことわりもなくまた元のテーマへ戻るのだった。
 彼は死後の生についていくつかの意見を述べているが、それらは私がいつも抱いていた意見とは正反対のものだった。これらの意見は、そのまま残された。そうした彼の哲学的陳述は私がはじめて触れるものだった。時には、私がその深遠さに気づくのが数か月後ということもあった。
 私は手紙を公表したことを後悔しない。手紙は多分、興味深いドキュメントであり、情報ソースが誰であろうとも、それを世に発表することへの恐れは、私が「X」氏に手をかした時に感じた恐れには到底及ばない。

 

「生きている死者からの手紙 4」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月13日(水)05時09分21秒
  「生きている死者からの手紙 4」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳




序文(3)



 ある時は、手紙は私の友人がいるときに書かれたが、その後は、私がいつもひとりのときに「X」氏が来るようになった。私はパリとロンドンの間を行き来していたので、手紙はこのふたつの都市で書かれた。時には週に数回の訪問があり、時には一か月も彼を感じないこともあった。私のほうから彼を呼び出すことはなく、訪問以外の時に彼のことを考えることもなかった。大半の時間、私のペンと思考は他の事柄で埋められていた。
 たった一度だけ、自動書記が始まる前に、手紙の内容がいくぶんか分かったことがあった。ある夜、鉛筆を持つと「Xさん」が何を書こうとしているか分かったのだ。だがこの出来事は覚えているのだが、どの手紙がそれだったか忘れてしまった。
 手紙を書いている間、私はたいてい半覚醒状態で、後でメッセージを読み返すまでは、ぼんやりとした内容しかわからなかった。2、3の例では、無意識に近い状態で鉛筆をとり、何を書いているのか分からなかったが、これはしょっちゅう起きたわけではない。
 この手紙が、私の序文付きで出版されるべきだと最初に言われた時は気乗りがしなかった。数冊の本の著者であり、多少なりとも知られていたので、文学的評判に少しは誇りを持っていたからだ。私は変人、「気違い」だと見られたくなかった。だが、私は前書きを書くことに同意し、手紙は私の目の前で自動書記で書かれたこと、それは完璧な事実ではないけれども、真実であると説明した。私の友人は満足したが、時が経つにつれて、私が不満を覚えるようになった。そういう説明は誠実ではなかった。
 

「生きている死者からの手紙 3」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月12日(火)05時10分42秒
  「生きている死者からの手紙 3」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


序文(2)


 にもかかわらず、私は何年もの間、毎日のように「予知夢」を見続けていて、そのなかには驚くべき予言もあった。そしてそれらの夢の解釈は、後に「Xさん」から与えられた解釈が正しいのだろう。
 アメリカから――さんの死を知らせる手紙を受け取った夜、私は「X」氏が誰なのかを教えてくれた友人と一緒だったが、彼女は、もしも彼ができるのなら、再び書かせる気はないかと聞いた。
 私は同意したが、それは、自分が関心を持っているというよりも、友人を喜ばせたいと思ったからだ。すると、「私はここにいる、間違いない」で始まるメッセージが私の手を通して届いた。それは突然途切れたり、センテンスの途中で休止し、大文字があったりして、ひどく読みにくい手紙だったが、最初の時と同様、きわめて自動的に綴られた。その力は強くて、翌日には私の右手と腕が利かなくなるほどだった。
「X」と署名された数通の手紙は数週間のうちに自動的に書き上げられた。だが、私は夢中になるどころか、このような形の創作に気が進まなくなったのだが、友人との議論のなかで、もし「X」氏が本当にこの世とコミュニケーションしたいのなら、彼を手助けするのは名誉なことだと納得した。
「X」氏は世間一般の人ではなかった。彼は著名な弁護士であり、年はほぼ70歳で、心底から哲学を愛し、数冊の本を著し、その純粋な理想や情熱は彼の知己であるすべての人にインスピレーションを与えた。彼の家は私の家からは遙かに遠く、彼に会う機会はごく稀でしかなかった。私の記憶している限りでは、私たちは死後の意識について語り合ったことはなかった。
 自動書記への強い偏見を乗り越えてゆくにつれて、「X」氏が語るあの世の生活について興味を覚えるようになった。このテーマについて書かれたものは読まなかったし、ベストセラーになった「ジュリアからの手紙」すら読んでいないので、私に先入観はなかった。
 メッセージは次々と届いた。しばらく経つと、手と腕の不自由さを感じなくなり、非常に判別しやすいとは言えないものの、文章からも、不規則さが消えていった。


 

「生きている死者からの手紙 2」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月11日(月)05時09分12秒
  「生きている死者からの手紙 2」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳



序文(1)

 パリに滞在していた昨年のある日、私は鉛筆をとって何かを書きたいという強い衝動にかられたが、何を書きたいのかまったく分からなかった。その衝動に身をまかせると、私の手は何者かにつかまれたごとく、人間についての卓越したメッセージを綴り、「X」と署名したのだ。
 メッセージの意図は明らかだったが、署名が私を混乱させた。
 翌日、友人にこの文章を見せ、「X」氏が誰だと思うかと聞いてみた。
「なぜなの」と彼女は言った。「これは私たちがいつも――さんと呼んでいる人じゃなくて?」
 私は知らなかった。
 現在、――さんはパリから6000マイルも離れた場所で、当然、生きているはずだった。だが、翌日か翌々日にアメリカから手紙が届き、――さんが、私がパリで「X」と署名された自動書記のメッセージを受け取る2、3日前にアメリカ合衆国の西部で亡くなったと伝えた。
 私の知る限りでは、私が彼の死を知ったヨーロッパの最初の人間であり、私はただちに友人に電話をかけて「Xさん」の死を伝えた。彼女は驚いたそぶりを見せず、私が「X」氏の手紙を見せた数日前にそう感じていたが、その時は口にしなかったと言った。
 当然ながら、私はこの異常な出来事に感銘を受けた。
「Xさん」はスピリチュアリスト(心霊家)ではなかった。私も同様で、以前もスピリチュアリストではなかったし、覚えている限りでは、死者と思われる実体が私の手を通して自動書記をしたのは他に2例あっただけだった。その時、私は霊媒と一緒だった。しかしメッセージは短いもので、私自身は現象を気に留めなかった。
 子供の頃、数回、他の人と一緒にウィジャ盤の上に手を置いたことがあり、ありふれたあれやこれやのメッセージをもらったことがあった。「Xさん」からの最初の手紙を受け取る数か月前、一度だけ、アマチュア霊媒と一緒にウィジャ盤に手を置いたことがあったが、亡くなった友人からと思える予言が綴られ、翌年、私のマンションで火事が起きたので、文字通り立証された。しかし火事は私の責任ではなく、また私自身の住まいで起きたのではなかった。
 随分前には、友人たちに説得されてプロが主宰する降霊会へ出かけ、いわゆる物質化現象を目撃した。一人の時には2、3度、霊を見たことがあり、どんな仮説を立てても、死者の霊だとしか考えられなかった。
 だが、この世とあの世の間のコミュニケーションというテーマについて、私はまったく無関心だった。スピリチュアリズム(心霊主義)には寒気を覚え、このテーマについての基本的な著作すら読んだことはない。



 

「生きている死者からの手紙 1」

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月10日(日)06時38分54秒
  「生きている死者からの手紙 1」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳


目次

序文
第1の手紙 帰還
第2の手紙 誰にも言ってはいけない
第3の手紙 扉を守ること
第4の手紙 鏡の上の雲
第5の手紙 語られたことのない事柄についての約束
第6の手紙 意志という魔法の杖
第7の手紙 ベールの後ろの光
第8の手紙 物質の鉄のくびき
第9の手紙 魂が行き交う場所
第10の手紙 4次元でのランデブー
第11の手紙 少年――ライオネル
第12の手紙 パターンの世界
第13の手紙 実際する形、しない形
手紙14 パラケルススの本
手紙15 古代ローマのトーガ
手紙16 忘れるべきもの
手紙17 こちらの世界のふたりの妻
手紙18 それぞれの地獄
手紙19 天国の小さな家
手紙20 神を見つけた男
手紙21 魂の余暇
手紙22 永遠の蛇
手紙23 被告のための弁論趣意書
手紙24 禁じられた知識
手紙25 影のない世界
手紙26 砂に描いた円
手紙27 魔法のリング
手紙28 汝、幼子のようにあらねば
手紙29 予期せぬ警告
手紙30 シルフと魔術師
手紙31 天空の数学の難問
手紙32 焦点を変えること
手紙33 5つの誓い   5つの決意
手紙34 ライオネルの旅立ち
手紙35 美しき者
手紙36 空虚な球体
手紙37 からっぽのティーカップ
手紙38 時のない場所
手紙39 死についての教え
手紙40 天空の階級
手紙41 見えない世界の寵児
第42の手紙 非実在の犠牲者
第43の手紙 目撃者の群れ
第44の手紙 内なる王国
第45の手紙 空想ゲーム
第46の手紙 ヘルメスの後継者
第47の手紙 ただ歌のみ
第48の手紙 目に見えないクリスマスプレゼント
手紙49 大いなる夢の国
手紙50 召喚と約束
手紙51 こちらの世界の4月
手紙51 幸福な男やもめ
手紙52 魂の貯蔵所
手紙52 大師への道
 

ハッチ判事の記事

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 9日(土)07時02分10秒
  《ロサンジェルス・タイムズ》紙は、 一九一二年二月二十一日にハッチ判事が逝去すると、ただちに以下の頌詞を掲載した。
偉大なる人物去る二十一日にロサンジェルスで亡くなったデイヴィッド・パターソン・ハッチ元判事は、さまざまな点において傑出した人物であった。
公明正大な裁判官として法律全般とその実践に精通していただけでなく、人生の深遠な哲学にもことのほか造詣が深かった。
哲学研究の分野でハッチ判事が到達した普遍的知識は、判事自身にとっては理の当然であったものの、その偉大な精神的足跡をたどったことのな
い者の目には神秘主義と映った。

ハッチ判事は以前からカリシュカというヒンディー語名で一連のすぐれた著作を上梓していたが、中でも名高いのは、深い英知を備えた偉人の姿を描いた小説『エル・レシード』である。
判事の神秘主義哲学に関する著書や『科学的オカルティズム』は、その方面の研究者のあいだで幅広い支持を得た。

その三年後、サンタバーバラに移り、そこで一八八一年に上級裁判所判事に選出された。
長年にわたってハッチとともに働き、最終的にその弁護士業務を引き継いだ人物は、彼が亡くなったとき長い弔辞を書き、故人を″魂の哲学者″と呼んでいる。

以下は、活字になったその弔辞の抜粋である。
ハッチ氏は、ひたすら書物に顔をうずめているような弁護士ではなかった。
氏の視線は、書物の向こうにある正義の顔を真っ向からとらえていたといえる……氏は法の原則を知り抜いていたのである……ハッチ氏は七年にわたってサンタバーバラ郡上級裁判所の判事を務めたのち、その職を辞してロサンジェルスで弁護士業についた。
氏の仕事は、南カリフォルニアの実業界に君臨する大物の弁護から、″慈善事業″にいたるまで多岐にわたったが、氏の依頼人はいずれもまたとない優秀な弁護士にめぐり会ったとい・ん卜(”フ‥‥‥ハッチ氏の出勤は早かった――たいてい八時前には職場に来ていた。
しかし、定例業務や規則に心をわずらわせることはあまりなく、″存在するものはなんであれ正しい″ということばを座右の銘としていた。
当初、筆者は氏の哲学の奥深さを知らなかったので、そのことばは運命主義を標榜するものと解釈していた。
しかしのちに、氏が言わんとするのは、自然の法則がすべての結果を生むということだとわかった。
つまり、人間は自由意志によって行動するが、神、あるいは自然は、あらゆる行為に対し常に正しく働く法則をあらかじめ定めているので、どんな行為も常に正しい結果を生むというのである……ハッチ氏は、日曜だからといって、月曜や金曜に世間に示さないような性格や行動を示したりはしなかった。
 

(霊界の目撃証人 122)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 8日(金)05時12分59秒
  (霊界の目撃証人 122)

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「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第48の手紙 目に見えないクリスマスプレゼント(4)



 その思想の灯火を地上で灯し続けるのに、予言者たち以上の働きをしてきた天使がいることを私は知っている。<美しきもの>と呼ばれる天使に会って初めて、わたしは永遠の命の勝利に酔うことができた。子供がおはじきで遊ぶように、あの天使は永遠の命で遊んでいる。
 <美しきもの>が「私は存在する」と言えば、君たちは自分もそうだと気づく。「わたしは子供がひなぎくの花びらを散らすように、何世紀も摘み取り、種を実らせた花芯を投げ捨てて、さらに何世紀も花咲くひなぎくを育む」と<美しきもの>が言えば、君たちはそれを感じる――だが、永遠の命の中に<美しきもの>が見いだす喜びの何たるかを言葉で表すことは到底できない。
 永遠の命をかすかに意識し、その命の存在のなかで高揚するとき、君たちはかつて自分そのものだ呼んでいた肉や骨のことを忘れてしまう。

 <美しきもの>が、”空のクローバー畑”と名づけた場所へ君を散歩に連れ出せば、君は自分が永遠の遺産全部を受け継ぐ共同相続人のひとりだと実感する。
 <美しきもの>は、キリスト教徒の救世主をよく知っている。高位の大師については、肉体を持つ者も持たない者も、ひとり残らず知っているようだ。大師たちは、たとえさわりの部分だけであっても、なんらかの形で必ず永遠の命について教えていた。
 ゆうべ<美しきもの>とわたしは、キリスト教の最高位の天国に行った。そこで見たことをすべて話したら、君は一刻も早くこちらに来て自分の目で見たいと思うだろうが、君はまだまだ地上を長く離れるはならない。君は、肉体を持っているうちに生命の永遠性を理解し、他の人々にもそれを理解させねばならない。
 下位の天国については前に話したが、そこには善人しか行くことができない。だが、神を心から熟烈に愛した者は、現世の度の国の言葉でも説明できない瞑想と恍惚の高みに達する。昨夜、君が眠りのなかに閉じこめられているうちに、私は<美しきもの>のそばでその恍惚感に浸っていた。
 来年のクリスマスには、私はどこにいるだろうか? 宇宙のどこかにいることはまちがいない。どう努力しても、宇宙の外には出られないからだ。宇宙は私たちなしに存続しえない。私たちなしでは宇宙は不完全になってしまう。新年おめでとう、この思想を忘れないように。

 

(霊界の目撃証人 121)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 7日(木)05時06分49秒
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「生きている死者からの手紙」(1914年の出版、ノンフィクション)
        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第48の手紙 目に見えないクリスマスプレゼント(3)



 キリスト教の天国にいる天使たちは、クリスマスがいつ地上で祝われるかを知っている。
 ナザレのイエスは実在する。霊的実体を備え、ガリラヤに住んだイエスとして、彼は時空に存在している。霊的に生きる人間の規範としてのイエスは、彼の思想を自らのうちに呼び覚ます人々の心のなかに存在している。彼は灯火であり、多くの水面に炎を映している。
 先日、大師と超人の話をした。イエスは最高位の大師のひとりであり、あらゆる天国で崇拝されている。イエスは宇宙の法則を理解し、あえてその法則どおりに生き、自ら実証した。「われと父はひとつなり」とイエスが言ったとき、ほかの人々が自分の内にある大師の能力を獲得することのできる道を示したのだ。
 人類はこれまでの長い道のりで数々の大師を進化させてきた。こうして人類は自らの存在の正当性を証明してきたので、それに異を唱える者はいないはずだ。人生にどんな目的があるのか知りたいと要求する者がいたら、人類のなかから進化させた大師を輩出すること、これが目的だと教えてやりなさい。永遠は長い。十分な強さをもった人間は、それぞれが目標を目指している。ほかの人を導く力のない者は、仕えればよい。
 そのことを、昨夜は強く実感した。ミサの群衆のほとんどの人間は、自分のもつ大師の能力を進化させるのに十分な強さとエネルギーをもっている、と言うほど私は大胆ではない。しかし、人類の中から大師を進化させるという重要な仕事に関しては、人は誰でも、ささやかであってもなんらかの役割を担う強さはもっている。人に仕えるのはすばらしい。奉仕することにも見返りはある。
 大師に進化させる仕事に取り組んでいる大多数の人が間違っているのは、永遠は永遠であり、不滅の命には始まりも終わりもないという事実を理解していないことだ。いまの人生のサイクルのなかではたいして進歩しなくても、次の人生があるのだから、時間はたっぷりある。リズムの波は確実にやって来るからだ。
 永遠の命という思想を、私が理解しているのと同じぐらいはっきり君に把握させたい! 私はこちらに来て過去の人生の糸をたどるまでは、それが理解できなかった。自分が永遠の命をもっていることは、理性によって理解していたが、永遠の命とはどういうことなのかわからなかった。君にわかるだろうか?

 

(霊界の目撃証人 120)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 6日(水)05時09分3秒
  (霊界の目撃証人 120)

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        エルザ・バーカーによる記録
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第48の手紙 目に見えないクリスマスプレゼント(2)




 私のような旅人がある特定の天国に行きたいと思ったら、まず最初に、その天国を楽しむ人々が感じていることを、自分で感じなければならない。それで初めて入って、彼らと交流できる。単なる観光客では、そういう場所にゆくことはできない。だからわたしは、原則として、地獄を避けてきた。天国にはしばしば行っている。

 また私は、ローマカトリックの煉獄に行ったことがある。故人の魂を鎮めるためにミサに集う人々を笑ってはいけない。故人はそうした思いやりに気づいている。彼らはミサの音楽を聴き、香の匂いもかいでいるかもしれない。そしてなによりも、自分たちに向けられた想いの力を感じている。煉獄は、私が実際に体験ので実在している。それを夢と呼びたいかもしれないが、夢の中には恐ろしくリアルなものもある。

 煉獄を信じない者でも、自分が生きることになった新しい状況に慣れるまで、しばらくのあいだ悲しみつつさまようことがある。そのとき、お前は煉獄にいるのだと言われても、彼らは煉獄の存在を否定するだろうが、そんなものはないと反発するだろうが、自分の不愉快な状況は容易に認めるにちがいない。

 そんな移行期の苦しみから逃れる一番確実な方法は、こちらの世界に来るときに、魂の不滅を心から信じ、そして魂が自分の環境を自分で作り出すのと信じることだ。

 昨夜、地上でいろいろな場所を訪ねたあと、わたしはキリスト教の天国のなかでも最高の場所のひとつに行った。ほかのときだったら、容易に行けなかっただろう。なぜなら私の心は全人類への愛に満ち、頭はキリストの思想に満たされていたからだ。

 私は、人間の救世主と呼ばれるキリストの姿をたびたび見てきたが、昨夜、彼は、その美しさのすべてを見せていた。彼もまた、一時期は地上に降りてきていた。

 私の言いたいことがわかってもらえるだろうか? キリストの愛は常に地上に存在する。なぜなら、愛を照らす多くの心が常に存在するからだ。もしも、贖い主であるキリストの思想が地上で少しでも衰えるなら、彼は戻って来て人々の心に再びその火を灯すだろう。だが、統計学者がなんと言おうと、その思想が現代以上に真実味をおびている時代はない。その思想は、昔はもっと語られていたかもしれないが。

 地上の世界は一部の人が考えているほど悪くなっていない。スピリチュアルな思想が力強く復活したとしても驚くにはあたらない。すべてのことには、それぞれのリズムがある。

 私は昨夜、大きな教会に行き、何百人ものキリスト教徒がひざまずいてキリストを賛美しているのを見た。地上で人間のひとりとして生きていたときも、クリスマスイブにはいろいろな教会に行っていたが、昨夜のような光景を見たことはない。予言者の名のもとに2人か3人が集まれば、その予言者がつねに霊的実体でないとしても、少なくとも共感の香りを漂わせて彼らのなかにいるのだ。


 

(霊界の目撃証人 119)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 5日(火)05時10分22秒
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        エルザ・バーカーによる記録
        金澤竹哲・訳

第48の手紙 目に見えないクリスマスプレゼント(1)

 クリスマスおめでとうと君に言うにはまだ遅くないね。
 今日がクリスマスだとなぜ私が知っているかって? 私は地上にいた頃の馴染みの場所で家々を覗き込み、キラキラ光るものや贈り物で飾られた木を見たからだ。私には君が見えるが、不思議だろうか? もしそうなら、私たちが居場所を照らしていることを忘れたのだろうね。ベールの向こうを覗く方法を知っていれば、そうできるのだ。
 私にはこちらの世界で初めてのクリスマスだ。君が身につけたり部屋に飾ったりできるような物質のプレゼントを贈ることはできないけれども、クリスマスおめでとうのお祝いを心をこめて贈りたい。
 幼い子供を地上に残してきた母親は、クリスマスが近づくと、そのことばかりに夢中になる。想像力と愛情を使ってこちらの世界の希薄な素材で仕立てた目に見えないプレゼントを贈るのだ。あるおばあさんは一晩中、クリスマスイブの晩に、ずっと、孫たちのまわりに花を撒いていた。その花の香りは、きっと大気圏をつらぬいて地上に届いたに違いない。
 君は、突然、わけもわからず漂ってきた甘い香りをかいだことがないかね? もしそうなら、君を愛する誰かが目に見えない花を撒いていたからにちがいない。愛は死よりも強い。
 クリスマスの真の意味を忘れたとしても、クリスマスを祝う習慣を守るのは良いことだ。クリスマスとは愛と謙虚さを備えた魂がこの世に生まれた日だと考える人もいる。だが、愛と謙虚さは、ナザレのイエスが現れる前に地上を訪れていたのだが、それでも、その二つが、イエスが誕生したとき以上に大きな力をもってユダヤの地に来たことはなかった。ベツレヘムの馬小屋が現実に存在したか、あるいは象徴であったかは、問題ではない。
 私はいくつかあるキリストの天国を訪ねたので、その美しさを知っている。”われらが父の家には住まい多し”という聖書の言葉どおりだ。


 

(霊界の目撃証人 118)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 4日(月)05時08分40秒
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        エルザ・バーカーによる記録
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第47の手紙 ただ歌のみ

 私たちが<美しきもの>と呼ぶあの素晴らしい天使についての、歌というか詠唱というか、呼び方はどうでもいいが、それをもうひとつ紹介するので、聞いてほしい。

 私に問うのをなぜ恐れるの? 私はみごとな答えが出せるのに。
 私の答えはときに象徴だけれども、言葉はそれ自体が象徴にすぎない。
 ひとつの季節が過ぎる間、私はあなたを訪ねなかった。私がそばにいると、あなたはほかのことを考えられなくなる。本当はあなたが歩んでいる道をかつて踏みしめた人々がいることに思いを馳せてほしい。
 あなたはほかの人のやり方を真似ることができても、私のやり方を真似るのは無理。
 私は闇の中の光――私の名は知らなくていい。名前には限界があり、私はそれに縛られたくない。
 大昔の天使の時代、私は自分が創造したものの姿になるのを拒んだ、天使たちと遊ぶとき以外は。
 君がヒントをほしがるなら、ここにヒントがある。
 自分の創造したものに縛られる者は誰もが奴隷になる。人間と私の違いのひとつがそれだ。
 地上の父親は自分の子供たちから逃げることができようか? 地上の母親は逃げたいと望むだろうか?
 だが私こそ! バラを開花させ――それを他人にゆだねて愛でさせる。
 私の喜びは創造すること。花びらが散るまでそばにいてはつまらない。
 過去の作品を忘れられる芸術家は、もっともっとすばらしい作品を作れるかもしれない。
 喜びは創造することにある、想像されたものにしがみつくのは喜びではない。
 ああ、手放すことの魔法の力! それは神々の魔法の力なのだ。
 私が姿を見せたいくつかの人種があった。彼らは私を崇拝している。
 あなたは私を崇拝しなくていい、私は崇拝を求めないから。
 私の美しさで感動させた人々から何かを求めれば、私は自分の創造したものに縛られてしまう。
 ああ、手放すことの魔力!
 しがみつくことに魔力はあるか?
 もちろん、ものが完璧に仕上がるまでは、それにしがみつくことが魔力となる。
 しかし、それが詩でも、愛でも、子供でも、できあがったら手放そう。
 そうしてあなたは、再び自由となり、別のものにとりかかるだろう。それが永遠の若さの秘訣。
 後悔しながら過去を振り返ってはいけない。そこから学ぶためにのみ振り返ろう。現状に安住してはいけない。
 一瞬を生きようと私は言った。それは別の面から見るのと同じこと。
 現在と未来は遊び仲間、過去を調べていては遊べない。
 私は人間の素晴らしい遊び仲間。

 

(霊界の目撃証人 117)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 3日(日)07時01分15秒
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第46の手紙 ヘルメスの後継者(2)


 さっき話した大師たちの場合は、自由に地上のそばにいたり、遠く離れていることもできる。呼びかけにも、応えたり応えなかったりする。だが、ふつうの魂は、地上で愛していた者の呼びかけにはとても弱い。
 私が見たある母親は、わが子の涙ながらの祈りに懸命に応えていたが、孤独な子供のそばに自分がいるのを知らせることができずにいた。そんな風に、母親たちは、自分の存在を子供に感じさせられず、たいへん悲しい思いをすることがある。
 あるとき私は、師が力をふるい、ある母親を助けて、大きな困難に直面していた彼女の娘に、母の姿が見え声が聞こえるようにしたのを見た。師の心は人々の苦しみにはたいへんやさしい。自分は救世主のひとりではないと言いながら、救世主と同じ仕事をしばしばしている。またあるときには師は、知性そのものになることもある。師は、三倍偉大なヘルメスの名をもつヘルメス・トリスメギストスについてのことわざ――偉大な体、偉大な知性、偉大な心――を具現しているのだ。
 師のことをもっと詳しく話したいが、師は地上の人々に自分の存在をあまり知られたくないと思っている。師はただ仕事のために仕事をしているだけで、報酬や賞賛を求めてはいない。
 師は子供が大好きで、ある日私が、地上の友人の家で誰にも見られずにそっとすわっていると、その家の小さな息子が転んで怪我をして激しく泣き出した。すると、偉大なわが師は、文字どおり”天使の軍団”を指揮するのを見たことがあるのだが、そのとき希薄な体を着たまま身をかがめ、痛みをやわらげ、子供を慰めたのだ。
 あとでそのときのことについて尋ねると、師は、自分もいろいろな国でたくさんの子供時代を過ごしたことを覚えているので、肉体の強い痛みや、転んだときのショックはいまでもありありと思い出せると答えた。
 師が言うのは、子供は大人が思う以上に苦しんでおり、成長途上の新しく弱々しい体に少しずつ慣れていくときに感じるとまどいが激しい苦しみの原因となっていることが少なくないということだ。
 また、泣いてばかりいる赤ん坊たちは、自分が直面している仕事――霊が働くための手段となる肉体を形づくるという仕事――があまりに困難なために半ば絶望しているからだという。
 師は、大師になる前に幾度か過ごした転生のひとつについて話し、肉体を作り上げるのがどれほど大変だったか教えてくれた。大昔のその人生に関しては、どんな些細なことも思い出せるそうだ。ある日、師の母親は、彼がやっていないことをわが子のしわざと思って師を罰した。師が自分のいたずらではないと否定すると、彼女は自分が体を与えた魂の本質に気づかず――彼女自身は善良な女性ではあったのに――嘘はいけないとたしなめたのだ。師はそのとき子供ながらに強い印象を受けたことで、何世紀も前から不公正に対する自分の真の闘いを始めた、その闘いによって、自分は人類の友となり教師となる道を歩んできた、と語った。
 師はさらに話を続け、われわれの魂が自分のたどる道を知るために、いくつか前世の記憶を取り戻すことが重要であると語った。
 一般に、偉大な教師たちは自身の過去についてあまり話さないのだが、彼らがその話題にふれるのは、ある原則を人に説明するために、自分の経験の一部を役立てようとするときだ。その話は、手探り状態の魂に、最高の地位に達した人も、いまの自分と同じ試練を経て、同じように悩んだのだと知らしめ、魂を励ますのだ。



 

(霊界の目撃証人 115)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 4月 1日(金)07時06分38秒
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第45の手紙 空想ゲーム(2)



 君たちは、目に見えない霊――あるいは目に見える人間でもいい――と会って、相手が正体をごまかしていると直感したら、話し合いはやめたほうがいい。もしその霊が自分で言うとおりの者で、何か重要なことを言いたいのなら、何度でもやって来るだろう。いわゆる死者の多くが、生きている者と交流したいと願っているからだ。
 しかしふつうは、こちらの世界の俳優は、人をだます気はなく無邪気に役を演じている。人間は誰でもときには別人になりたいと願うものだ。貧しい男が、一晩だけ一張羅の服を着て、一週間分の給料を散財するとき、彼は大富象のふりをしているのだ。その衝動は、自分はシェークスピアだと名乗った男と同じだ。いつも身上を超えるぜいたくな装いをしている女は、自分と世界を相手に、同じ遊びをしているのだ。
 子供はみんなこの遊びを知っている。彼らは、自分はナポレオンだ、ワシントンだと自信に満ちた口調で言い、それを大人に笑われると傷ついてしまう。
 シェークスピアと名乗った我が友人は、地上にいたときはアマチュアの劇作家だったにちがいない。もしプロの劇作家だったら、あまり知られてもいない実名を名乗り、私がかの有名な誰それだと言っただろう。
 こちらの世界では、地上にいたときの業績を誇るものが多く、特にここに来たばかりの者はそうだ。この傾向は時とともに薄れ、こちらに来てから長い時間が経つと、より一般的なことに関心をもつようになる。
 境界を越えていわゆる霊界に入ったというだけで、男も女も人間でなくなるわけではない。実際は、規制が少ないために、地上にいたとき以上に人間としての個性が強調されるのだ。こちらでは、他人のふりをしても社会から罰せられることはない。こちらの世界の明敏な目で見ると扮装などは透け透けなので、他人のふりをすることは遊びとしか見られないのだ。

 

(霊界の目撃証人 114)

 投稿者:ちくてつ  投稿日:2022年 3月31日(木)05時26分7秒
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第45の手紙 空想ゲーム(1)


 ある日、私は胴着とタイツを身に着け、自分はシェークスピアだと名乗る男に会った。いまはもう慣れてしまって驚かないが、6か月前、あるいは8か月前ならそういう人たちに驚いていた(そう、私は自分のために、いまでも君の世界のように月日を数えている)。
 私は男に、あなたの主張は途方もないが、何か証拠がありますか、と聞くと、男は証拠は必要ないと答えた。
「それでは納得できませんね」と私は言った。「私は昔から法律家だったのですから」
 男はそれを笑って、こう聞いてきた。
「あなたはどうして遊びに加わらないのですか?」
 君にかなり馬鹿馬鹿しい話をしているのは、それがこちらの生活の興味深い点を示していると思うからだ。
 以前の手紙で、ここに来たばかりの女性が、古代ローマのトーガを着た私をシーザーと勘違いしたらしいとわかったとき、私は彼女に、ここでは誰もが俳優なのですと言った。それはつまり、われわれは子どもがするように”仮装”して、自分の想像を人に示したり、過去の生の何かの情景を再現するのだ。
 役を演じることはふつう、きわめて無邪気なものだが、ときにはその容易さゆえに、自分の演技で人をだましてみたい誘惑にかられることがある。特に地上の人間を相手にするときはなおさらだ。
 私の言いたいことがわかるだろうね。降霊会に通う人たちは、”人をだます霊”がいて困るとよく言うが、それはこの霊界の俳優たちであり、彼らは、自分の演技のうまさにある種の誇りを抱いてさえいる。
 自分はお前の死んだ祖父だと名乗る霊が、本当に君の尊敬すべきおじいさんであるとは限らない。彼は、自分で楽しみ、君も楽しませるために、おじいさん役を演じているだけかもしれない。
 どうしたら見破れるか? 確実な方法はない。しかしながら、自分の前にいるのは間違いなく本人だと、感情に流されずに強く信じることができたら、それが一番の証拠だろう。われわれの心にはある直感が備わっていて、恐れや偏見にとらわれずにそれに従えば、あざむかれることは絶対にない。地上の人々はこの内的モニターに逆らって行動したあげく、だまされて道を間違えてばかりいる!

 

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