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731部隊の悪夢復活!

 投稿者:世話人の竹哲です  投稿日:2013年 5月30日(木)07時34分34秒
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  http://toyokeizai.net/articles/-/14028

 安倍首相がブルーインパルスの訓練ジェット機「731」に乗った写真が世界を驚かせました。

 もっとも深刻に受け止めたのはアメリカです。
 東洋経済の記事をごらんください。

 私が不思議に思うのは、安倍首相は、自分のやっていることがわかってやっているのか、それとも操り人形になっているのか、ということです。

 たとえば、祖父の岸信介がどんな人間だったか、本当にわかっているのでしょうか?

 ネットでこんな記事が出ています。
<九四年十月九日付けニューヨーク・タイムズが次のように報じている。
 国立国文書館に収められた国務省文書によると、五八年七月二十九日、当時のマッカーサー二世・駐日大使は国務省に対し、岸内閣の佐藤栄作蔵相が米大使館に国政選挙に向けた資金援助を要請してきたことを伝えるメモを送った。
 五五年から五八年までCIAの極東活動の責任者だったアルフレッド・ウルマー二世は「われわれは情報を自民党に依存していた」と語り、CIAが自民党を支援するとともに、同党内の情報提供者を雇うために資金を利用したと明かした。
 CIAによる秘密資金援助は七〇年代初めに終わった模様で、それは日米貿易摩擦拡大に伴う両国の緊張関係と符合する。日本の経済力も強化され、CIAはその後、それまでの長期的な関係を活用して、より伝統的なスパイ活動を日本で確立するようになった。
 CIAの資金提供のルートの一つとは、正確には「自民党」というより、「岸信介個人」へ直接だったといい、動いた金は百万ドル単位だった。
 五八年の総選挙では「CIAは佐藤の要請を受け、岸に対して資金援助を行っていたのは、ほぼ疑いがない」。戦後、アメリカ(=CIA)による日本の政権中枢に対する工作のターゲットは、一貫して岸信介(安倍晋三の祖父、一八九六―一九八七)だった。GHQからしてみると、旧自由党系の吉田茂(一八七八―一九六七)が必ずしも占領政策に従順ではなく、いろいろと駆け引きも行なったため、マッカーサーはもとより、GHQ内で情報工作を担当するG2からも、「吉田はナマイキだ」と相当、嫌われていたからである。そのため、吉田に対する牽制の意味もあって、「アメリカの言うことをよく聞く岸」にテコ入れしていった>

 これはマスコミが「書かないけれども知っている事実」です。

 そして、731部隊についても、本当に知ってるのでしょうか?

 「歴史探偵 昭和史をゆく」(PHP文庫)の著者で、信頼出来る戦史研究家の半藤一利さんが指摘しています。
<1、風船爆弾と細菌戦
 「満洲第七三一部隊(石井部隊)や南京第一六四四部隊(多摩部隊)のことが、最近もしきりに喧伝されていますが、わたくしは、実は細菌戦の準備はまだ完成してはいなかった、とみているのですが、いかがですか」
 さまざまな取材をすませたあと、なにげなくそう問いただしたとき、直視する眼が不意に光をおびた。
 参謀本部の元参謀、陸軍中佐であったその人は、しばらく沈思していたが、やがて思いもかけないことを語りだしたのである。
 「昭和十九年六月のサィパン島攻防戦のときと、翌年二月の硫黄島のときと、三度にわたって細菌爆弾攻撃が参謀本部では検討・計画されたのです。それとご存じのように風船爆弾に細菌爆弾をくっつける計画もありました。しかし、いずれも実行されなかった。つまりこれでわかるように、細菌爆弾は完成していました。サイパン攻防戦のときには、満洲から釜山まですでに多量の爆弾が運ばれてきていた。命令一下、攻撃機発進の準備はできていたのです」
 サイパン戦のときの参謀総長は東條英機大将、硫黄島戦は梅津美治郎大将に代っているが、最高指揮官がだれであろうと、作戦課の参謀が確言する以上、細菌戦計画が参謀本部内で事あるごとに練られていたということは確かなのであろう。
しかも風船爆弾の第一回放球は昭和十九年十一月三日、ちょうどサイパンと硫黄島の二つの激戦の間に位置する>

 191ページには、「風船爆弾」(鈴木俊平著、新潮社)から、参謀本部内の空気がこうだったとあります。

<「人道的見地を無視した戦術によって最大の恐怖をあたえなければ、科学戦力にまさるアメリカ側がいつ非人道的殺戮兵器によって先を越すかわからぬ。……端的にいって、敵側の科学力の優位をみせられてきた今こそ、この新兵器(註=原爆を指す)による敵の奇襲を増戒しなければならぬ。したがって風船爆弾攻撃が可能になったからには、投下物のなかに壊疸性ガス弾や細菌弾を混入させ、機先を制して国難を救うべきである。今次の大戦は、過去の第一次大戦のごときルールは通用せず、互いに狂おしい殺貌競争に突入していることを忘れてはならない」
 恐らくこれが参謀本部内の強硬派の本音であったに違いない。そのことは、元参謀のその人もほぼ諾(うべな)っている。こうしたモラル無視の突き上げが梅津を動かそうとしていたのである。
 事実、風船爆弾の研究陣容のなかの、協力研究機関として、陸軍気象部や中央気象台の技師たちとならんで、軍医学校の内藤良一中佐の名が残されている。しかも内藤中佐の研究テーマは「経度信管」。信管となれば第八技術研究所の担当であり、軍医とはまったく関係のないはずのもの。
 それを、なぜ、軍医中佐が研究を担当したのか。歴史探偵はそこに注目するのである。これまで風船爆弾にかんして書いた人はだれも指摘していないが、ここに一つの具体的な事実が残されている。風船に細菌爆弾や毒ガスを搭載するための研究が、内藤中佐その人の担当であったことを物語ると思う。なぜなら内藤中佐は、第七三一部隊の石井中将の直属の部下で、細菌の専門家であった>

 日本からアメリカ西海岸に飛ばした風船爆弾は、山火事を起こすためのものではなかったのです。
 731部隊が開発した細菌兵器をばらまくための兵器だったわけです。

 そして731部隊の影響は戦後の日本の医療に暗い影を落としています。

 「人殺し医療」では、ベンジャミン・フルフォードさんが日本医師会の裏の顔について指摘しています。
 戦前に開業医であった武見太郎が日本医師会会長になどなれるわけがない。仕切ってたのは石井四郎、731部隊のトップであったとほのめかしています。

 写真はこの本のその部分です。
 内藤良一中佐の名前もここにありますね。

 安倍首相は、おぼっちゃんですし、頭も良くないので、たぶん教えこまれたとおりに操り人形を演じているのではないかと思いますが、では、誰が操っているのか、日本は参議院選挙後の安倍首相の自民党圧勝によって、とんでもないことが起きるのかもしれません。

 私たちはワークを真剣に行い、闇の勢力に対抗するために光の柱を建てたいですね。
 
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