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東京大神宮へ参拝すると、ほぼ立ち寄るところが、ひば工房さん、老舗ラーメンの備前亭さん。
備前亭のご主人は、「金澤さんはいつ見ても姿勢がいいですなー」と何度か、関心してくださっています。
楽々毛管運動はたまに行われていますが、まだお元気なので、日課にはなっていないそうです。
人というものは、わたしもそうですが、横着なものです。
何かがないと、いざ! やるぞ! というようなきっかけにならないわけです。
わたしの大先輩から聞いたおもしろい体験があります。
戦争中、「戦争は嫌だ、戦地にはゆきたくない」と願って、びくびくしていました。
当時は学生でした。まだ赤紙が届く歳ではなかったのです。
そして敗戦となりました。
そのときの開放感、高揚感、救われた気持ちは素晴らしいものがありました。
「よし、人生を新しく生き直すぞ!」
と決意しました。
ところが、しばらくすると、「元の状態の戻って、その決心は忘れてしまいました」
頭をかきながら、体験を語られたのでした。
戦争という凄い体験ですら、こうなのです。
ですから、わたしたちが大決心するのは、あまりないことでしょう。
しかし、その大決心ができるときがあります。
たとえば痛みです。
わたしの姉がそうでした。
膝に水が溜まり、痛いだけではなくて、正座ができなくなりました。
楽しみにしていた趣味の茶道ができなくなったのです。
立て膝でお茶をたてるわけにはいきませんよね。
「膝が痛いだけで、人生がこんなに暗いのかと思った」と後で話してくれました。
ですから、楽々毛管運動で膝が直り、正座もできるようになって、お茶を再開できたことは、ほんとうにうれしいことだと言います。
「あの痛み」を覚えているので、楽々毛管運動がいまも続いています。
姉のケースでは、「痛み」=Okageなのです。
痛みがあって、その記憶があるから、楽々毛管運動が続いています。
これで成人病その他の予防になっていますから、金銭に換算すると大金をゲットしたも同然です。
楽々毛管運動は日々、何千円かの貯金をしているようなものですと、と言いますと、わたしたちは「頭では理解できます」
しかし、頭で理解できても、大決心できなければ、人は横着ですから、なかなか続きません。
このように考えますと、「痛み」=神様の贈り物、ではないでしょうか。
わたしが見聞してきました範囲では、大決心が続く方は、心身や家族の痛みがきっかけになっている場合がほとんどです。
ですから続きますし、同じ悩みの方に対し、自分の体験をもとに親身のアドバイスができます。
人は、心底からの親身のアドバイスにはこころを動かされるものです。
痛みも辛さもない人生、気楽な人生を歩みたいと、誰もが思うわけですが、どうやら人生の価値、醍醐味とは、痛みや試練というキツいスパイスによって、自分を変革しようと大決心し、その変革を成し遂げて成長するということではないのか、そんな風に最近は思います。
ひまわり会の会員さんはほぼ大半の方が50代以上です。
人生経験が豊富で、痛みや試練も重ねてこられました。
日々のワークが続くのは、それをOkageと考え、自分を変革し、家族にも、世の中にも良い影響を与えたいと考えられているからではないかと思えます。
これが本来の日本人らしい気質でしょうね。それが失われ、アメリカナイズされた面が出てきて、日本がたいへんな時期を迎えています。
アメリカを代表する弁護士であるゲーリー・スペンス氏はかなりスピリチュアルな人ですが、「議論に絶対負けない法」で、アメリカ人気質を見事に指摘しています。
<アメリカにおいては、自分がまず第一で、相手のことを理解しようとか、相手に自分のことを理解してもらうまで辛抱強く待つなどという考え方には、まったく馴染みがない。聞いてもらうこと、理解してもらうこと、自分の要求に応じることを相手に要求し、その要求が受け入れられなければ、なぜ受け入れられないかその理由を教えろと要求するのがアメリカ流だ>
「自分が第一」「自分がいちばんかわいい」という人生は、ツマラナイものですね。これでは魂の成長はないでしょう。
「痛み」=Okageであるということは、よく考えてみたいテーマです。
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